親鸞

現在連載中の五木寛之さんの新聞小説『親鸞』の中の一節より。
親鸞が常陸の国で人々に言った言葉です。
「よろしいか、みなの衆。念仏をしても、背負った荷の重さが軽くなるわけではない。
行き先までの道のりがちぢまるわけでもない。
だが、自分がこの場所にいる、この道をゆけばよい,そしてむこうに行き先の燈が見える、
そのことだけでたちあがり、歩き出すことができた。念仏とは、わたしにとってそういうものだった」
当時の仏教は現世利益や因果応報を説くだけでした。
自我(エゴ)とは何かという観点がなかったのです。
親鸞は念仏で切り開こうとしたのでしょう。
「他力本願」という単語は今や手垢にまみれ俗によって貶められてしまった感がありますが、
もし本当に為すことができれば人は「離陸し飛翔」できると思います。
2012(平成24) 年には750回忌の「大遠忌」だそうです。
浄土真宗系のお寺さんではこの日に向けて大掛かりな準備をされているそうです。
比叡山延暦寺は親鸞が若いころ修行した寺です。