とっさの行為

Aさんの話。

先日、図書館に行き、本を探して開架の書棚の間を通っているとき、

知り合いではあるが、あまり会いたくないBさんの後ろ姿を見つけてしまった。

Bさんは、まだAさんには気づいていない。

AさんはとっさにBさんに気づかれないように棚の間を縫って、図書館を出た。

ほっとしたものの、なにやら心が晴れない、自分は何も悪いことなどしてないのに

どうしていつもこのような行動に出るのだろうか。

「これは、わたしのエゴなのでしょうね」と言う話である。

誰にもよくあることだ。

AさんがBさんに駆け寄って、わざわざ握手するというのも不自然だが、

Aさんのカクレンボごっこも、鬼が気がついていない分ゲームは成立しない。

やはり不自然なのだ。

逃げもしない、隠れもしない、追いかけることなどもちろんしない、

もし目が合ってしまったら、軽く会釈すれば済むことだ。

場合によっては『いい天気ですね』とにっこり笑うゆとりが欲しいところだ。

Aさんは、Bさんを見た瞬間、過去を想起し、今を忘れ、未来に不安をもった。

その不快感から逃げ出した。外に出て軽い自己嫌悪に陥ってしまったのだ。

そしてこの行為に駆り立てたのがエゴと気づいた。

エゴと、気がついたのはよかったが、時間が経過して反省になってしまった。

自分で自分に色々な言い訳を繰り返す。せっかくの図書館行きが台無しになった。

本を借りることが目的だったのに、それを捨ててエゴの命じるままに走り出した。

人の言動のほとんどが、このようなエゴの制御下に置かれている。

だから、結果はいつも不完全燃焼で、喜びも半ばくらい。

次におきるであろう不快感は避けられたかもしれないが、

それとて経験履歴の検索に過ぎず、予期不安以外の何ものでもない。

もともと不快感は存在しないのだ。

エゴと気がついただけでもいいではないか。

だが知識が何の役にも立たないことが分かったはずだ。

とっさに避けない、とっさに逃げない、エゴ抑制の練習は必要だ。

身を入れる、見切る、などの一連の自己観察が問われる。

幸せな日々というものは、Bさんに出会わないこと、ではなくて

出会っても動じないことです。

頭から意識を丹田に置くことです。練習です。



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プロフィール

ロックエヴァ

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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