被曝

1945年8月、まだ23歳の叔母は、長崎原爆の爆心地に直後から看護婦として

救護に入りました。不眠不休の中で働くうちに自らも撒き散った放射性物質の

出す放射能で被曝しやがて体調を崩しましたが、間もなくたちなおりました。

その後、戦災孤児を引き取って養子にし我が子のように育て上げました。

後遺症で体調は万全ではありませんでしたが、持ち前の明るさと粘り強さで

戦後を生き抜き、後に銀行家と結婚し夫を支え85歳まで永らえました。

なくなる直前まで歌声運動などの社会奉仕活動も精力的にやっていました。

放射性物質の放射能は種類にもよりますが、被曝の量が致死量にでも至らなければ

完全に人生を台無しにしてしまうほどのことではないのかもしれません。

絶望では決してありません。

人体はそれほど脆くはない様にも思えます。心はもっとタフです。

ですが、子供はつくりませんでした。

心すべきは、苦しみを作り出す原因は錯誤から生まれた恐怖感にありますし、

そこから生じる大きな不安感が恐怖をさらに加速させ症状を悪化させます。

不幸にして放射能に被曝しても、できるだけ明るく生きることです。

なかなかできることではありませんが、人が試される時です。

いつの日か再生を期して耐え抜きましょう。希望はそこからしか生まれません。

叔母から、よくワカメ入りの味噌汁や雑穀類を常食としたことは本人の口から聞きました。

当時の日本では普通だったのです。もちろん当時それが放射能汚染から身を守ることは

知らなかったようです。

もう、人類に制御不可能な原子力発電所はいらない!!!! 




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プロフィール

ロックエヴァ

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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