老子「上善は水の如し、水よく万物を利して、争わず。

衆人の悪(にく)む所に処(お)る。故に道に畿(ちか)し。」

有名なことばである。

最良の生き方は水のようなものだ、例えばどのような形の器にも従って

争うことがない。しかも人の嫌がる(低いところにも)ところにもわが身を置く。

だから水のような生き方が道(タオ)に一番近いのだ、というような意味だろうか。

身に染み入るようなことばだが、努力してそうなれるわけがないことはよく分かる。

努力とは力を求めることだから、向きが逆なのだ。

そもそも水は「争ってはいけない、器に従うのが最善なのだ」などの判断など

しているわけではないのだ。

水は努力して万物を利すのではない。水そのものの本来性なのだ。

水は考えない。争わない。

我々の身体は70%が水だという。

水は身体の器にしたがって人の形に順応して争うことはない。

しかし人は他への支配欲と嫉妬心の器になってしまっている。

だから人は人の形を成しているのだろう。

確かに我が身体にたくさんのエゴの粒子が住み着いて発動を待っている。

あらゆる細胞の中に潜んでいるのだ。だから細胞なのだが・・・・・。

人は決して水にはなれないのだ。

何かつじつまが合わない文章だが今朝ふと思ったことだった。




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ロックエヴァ

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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