見る

「見ているようで見ていない」のはなぜか。

目は脳の出先機関だから、脳そのもの、網膜に映ったものは全て脳の検閲をうけて

許可されたものだけが『見えた』ことになるようだ。

つまりは、判断、対比、推理、推測、随分たくさんのフィルターを通すものよの~~~~。

それを支える膨大な量の経験、衝撃、それらの蓄積と強制的な刷り込みが無数にある。

はっきりいって、実在しないものさえも都合よければ映像化するらしい。

さらには、見えないものを『見た』つもりにする修正機能さえついている。

我々は思考の結果を見ているのであって『今』を見ているのではない。

同じように、だれでもある年齢になれば過去を懐かしむ傾向がでてくる。

私は夏の厚い日差しの中で見た青空に浮かぶ入道雲が大好きだった。

それは躍動感や開放感の象徴となった。

記憶は記号と化すのだ。

少年の日を思い出して、湧き上がる躍動感、開放感。これは本当か?

これは、「今、こころが躍動しており解放されていること」であって

この状況が過去の夏の日を思い出させたのだろう。

今しかない。

過去は不確かで常に変化している、つまりないのだ。


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プロフィール

ロックエヴァ

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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