昭和の名車
先日、ドライブの帰路、山間の集落の空き地にぽつんと置かれていた赤い車が目に入りました。
最近は滅多に観られなくなったスバル360でした。
昭和30年代後半から40年代にかけて製造された軽自動車です。
政府の国民車構想にこたえる形で富士重工が発表した当時としては画期的な構造を持つ車でした。
シャーシーの上にボディーを載せる従来の基本形に対し、
全体をモノコック式にした日本初の車でした。
モノコックとは「卵の殻のたとえ」でいわれるように、シャーシーを使わない分軽く丈夫です。
現代の車のほとんどがこの形式です。
日本の自動車史の中で一時代を築いた「さきがけ」の象徴として
2016年「機械遺産」にも登録された名車です。
エンジンは2サイクル(ストローク)、360㏄。およそ20馬力前後。
現在では全く見られない前開きの2ドア。屋根は薄いグラスファイバーでした。
安全装置は手薄で、もちろんエアバッグはなし、ヘッドレストなし、シートベルトなし
(後期型では考慮されたようですが)
エアコンなし。真夏は三角窓からはいる風で暑さをしのぎました。
現在の車のような電子装置はない、しいて言えばオプションのラジオくらい。
私が免許を取得した時にはすでに生産は終了していましたが、街なかではよく見かけました。
生産終了後50~60年経った今でも、日本のクラシックカーとして需要と供給があり、
市場では程度の良いものは100万円ほどで取引されています。
マニアックで趣味的なおとなの玩具という位置づけでしょうか。
実は、免許を取ったばかりの私に同僚が「ただでいいよ」と言って、譲ってくれたのがこの車でした。
「ただ」とはどういうことか?。
車体の底には穴が開き、水たまりを走ると、脚はおろか、顔にまでしぶきが飛び込んできました。
ドアには腐食による穴、ガソリンタンクも腐食していて車内はガソリンの匂いで充満しました。
車のレストア(修復、よみがえらせること)の面白さはこの時から始まりました。
大きい穴はブリキ板で塞ぎ、ドアにはテープを貼り付け、タンクの穴はハンダ付けで対応、
外の塗装は、刷毛塗り、で済ませました。当時はまだスプレー缶がなかったのです。
結構楽しみましたが、馬力アップを企てキャブレターをいじくったのが悪かったのか
、リッターあたり4㎞という高級外車並みの燃費に手こずり、とうとう手放しました。
整備士のマニアさんが引き取ってくれました。当時から人気があったのです。
なつかしい「テントウムシ」さんでした。
ど素人の私が整備と修理に悪戦苦闘した若き日が懐かしく思いだされます。