セラピー
クライアントさんは実に様々な症状や、それに伴う葛藤をもって来院される。
身体症状やこころの問題をはじめ、死への怖れ、経営問題、人間関係、など
といった具体性を帯びたことがらまで様々である。
特に心身の症状にセラピストとして何ができるのか?。
症状を軽減することはそれほど難しくはないが、
症状を引き起こしている原因を見つけることは身体だけに限れば分かることもある。
だが、その先にある人の実存に関する深い部分については、不可触領域ゆえに
互いに触れられないことが多い。
言語表現の困難さに伴う制限やさらに奥にある深層領域だけでなく、
この分野にも、深い迷いや葛藤が重層的な厚みを持って渦を巻いているからだ。
簡単に言えば心の歪である。
もちろん誰にもあるが、健康な人は偏りが少ないだけである。
その状況をそのままクライアントさんに気づいてもらうのが重要である。
クライアントさんの心の闇の部分から何がどのような形で浮かび上がってくるのか
見守るだけである。
セラピストとクライアントはともに、この空間を漂い流れてゆく。
そして、あるとき何かに触れる、と思える一瞬がある。
ともに、自我(エゴ)が抑制されたと思えるときに、「意識」にゆだねるほかはない。
その時に治癒はおきる、のではないか、と思う。
セラピストが実施するこのあたりの、手順はもちろんある。
と言っても、特別なことではない。
真我に意識をおき、あとはまかせる、つもりで待つ。
セラピストの真我で、声なきメッセージを聞くことができるかどうか。
合わせ鏡のクライアントさんにもそれが分かる。
ゆえに鉄則は、修正や、指示、アドバイスなどはしないことである。
現実には、特殊な技法も使うし、「心の問題ですよ」などと言ったりはする。
しかし根幹は上記のようになるよう日々の実践を重ねている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上のことを簡単にまとめれば、
心身の症状は、怪我や事故も含めて、心の奥深いところに歪があるからです。
セラピストとクライアントさんはともに心的空間を漂いながら、
言葉では表せないが、何かに触れるときがあります。一種の俯瞰ですね。
セラピストとクライアントに信頼と共感があれば、そのときに治癒が始まりますよ。
ということです。
身体症状やこころの問題をはじめ、死への怖れ、経営問題、人間関係、など
といった具体性を帯びたことがらまで様々である。
特に心身の症状にセラピストとして何ができるのか?。
症状を軽減することはそれほど難しくはないが、
症状を引き起こしている原因を見つけることは身体だけに限れば分かることもある。
だが、その先にある人の実存に関する深い部分については、不可触領域ゆえに
互いに触れられないことが多い。
言語表現の困難さに伴う制限やさらに奥にある深層領域だけでなく、
この分野にも、深い迷いや葛藤が重層的な厚みを持って渦を巻いているからだ。
簡単に言えば心の歪である。
もちろん誰にもあるが、健康な人は偏りが少ないだけである。
その状況をそのままクライアントさんに気づいてもらうのが重要である。
クライアントさんの心の闇の部分から何がどのような形で浮かび上がってくるのか
見守るだけである。
セラピストとクライアントはともに、この空間を漂い流れてゆく。
そして、あるとき何かに触れる、と思える一瞬がある。
ともに、自我(エゴ)が抑制されたと思えるときに、「意識」にゆだねるほかはない。
その時に治癒はおきる、のではないか、と思う。
セラピストが実施するこのあたりの、手順はもちろんある。
と言っても、特別なことではない。
真我に意識をおき、あとはまかせる、つもりで待つ。
セラピストの真我で、声なきメッセージを聞くことができるかどうか。
合わせ鏡のクライアントさんにもそれが分かる。
ゆえに鉄則は、修正や、指示、アドバイスなどはしないことである。
現実には、特殊な技法も使うし、「心の問題ですよ」などと言ったりはする。
しかし根幹は上記のようになるよう日々の実践を重ねている。
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上のことを簡単にまとめれば、
心身の症状は、怪我や事故も含めて、心の奥深いところに歪があるからです。
セラピストとクライアントさんはともに心的空間を漂いながら、
言葉では表せないが、何かに触れるときがあります。一種の俯瞰ですね。
セラピストとクライアントに信頼と共感があれば、そのときに治癒が始まりますよ。
ということです。