結界

「結界」と聞けば知識の豊富な方は、

たとえば密教などで修行、行法のための清浄な空間を構築することだとし、

邪気が決して入らないようバリアーを張ること、などといいます。

方位や方角、広さ、法具、供物、など、儀軌に従った決まりがあるようです。

専門集団による入念な準備と、複雑な所作に裏打ちされた華麗な空間であったり

部屋の四隅に何かのモノを設置するという簡単なものもあるでしょう。

それはそれで、よいと思います。

ただ、私たちは空間や時間、質量などは脳が世界を認識または認知するための

枠組みにすぎず、ある意味「幻想」にすぎないとします。

したがって、方位も位置も広さも無関係に過ぎない。

(そのように、心の底から思えればの話ですが。知識の深い人にはこれこそが
認知の偏向となってしまうのです。)

本当は、誰にも聖なる浄化された場に「在る」ことが可能であると。

本来、人は神性の表現です。

これこそが、人を人たらしめる本質ではないでしょうか。

人のイノチは未だかって何ものにも汚染されたことのないかけがえのない実在なのだから。

人そのものが聖なる実在なのですが、それを忘れています。

「忘却」というこれまた強固な脳の仕組みで封じ込められ、

いく生にもわたる厚い層に覆われて置き去りにされてきた「真実の光」の輝きを

取り戻すことが重要なのですね。

師匠からトレーニングがスムーズに進むように「結界」○○を頂いています。

所定の画像を好きなところで燃やすだけです。

方位や範囲などは気にしないのです。

気がつかないまでも、内なる神を思い出すことなのでしょうか。

人は時空間の呪縛にとらわれ思考の渦に巻き込まれエゴが湧き上がりますからね。

ふっと、そっと、思考という魔物に触れないように、さりげなく、燃やします。

体感的には一瞬にして気の通りがよくなります。

きっと、「では及ぶ範囲は?」と聞く人もいるでしょうね。

そういう方はそれでいいでしょう。

いろいろと考えてください。

結界の定義?が違います。

『「意識」によって呼び起こされる作用機序。』

この理解を避けてはどうしようもありません。

分かろうとすれば、わからなくなるでしょう。

禅の考案でさえ、これほど難しくはありません。

我々の言う「意識」が心理学の意識と全く違うからです。

言語という限界なのです。

不都合な邪気を遮断し聖なる空間を設定するという思考は、

とても分かりやすいのですが、

これは、この世の人の心の仕組みであって

高い次元の無限無辺の叡智とは相いれないものと私は思うのですが。

これは私なりのレポートです。

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*いつも思うのですが、無限ってどういうこと?
もちろん数学的な問いではないですよ。

*無辺ってどういうことなのでしょうね。




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プロフィール

ロックエヴァ

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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