自由

40年ほど前、深夜、ろうそくの明かりだけの部屋で瞑想をしていた時のことだ。

全身の力を抜き、深く呼吸をしながら、光のゆらぎにまかせていたとき、

突然、自身の意識が体から飛び出してみるみる膨らんでゆく。

月明かりに鈍く光る屋根瓦、見おろすと街の光がひろがっている、光る海、雲

あっという間に成層圏を越え、地球を飛び出し、

気がつけば虚空に浮かぶ己があった。

目の前には、星、星雲、霧のような流れが・・・・・・・。

ふと、足元を見れば、支えるべき大地はない。足下に無限に広がる闇の空間、

そして星々の輝き・・・・・。何?足元に星?

虚空にぽつんと浮かぶ自身に気がついた瞬間、とてつもない孤独感と恐怖感が襲ってきた。

戻れるのか?と、・・・・・・・。

そう思った一瞬後、あっという間に部屋に戻った時の安堵感。

何を私は体験していたのか。

眠っていたわけではない、非常に明晰な澄んだ意識ではあった。

それから、数日をおいて何度か似たような体験があった。

当時は、この種の体験を説明する資料は皆無で、むろん聞いてくれる人はなく

時が流れた。

今思う。単なる脳内現象だったのか、

大いなる意識と瞬時に触れたのか、

体験の中にいくつかの矛盾があることは確かだが・・・・・。

一時「愛」「自由」に触れたのかもしれないが未熟さゆえに、それを拒否してしまったのか・・・。

今言えることは

自身を含め果てしない壮大な宇宙を瞬時に意識できる可能性があるということ。

すくなくとも、つもりにはなれる?

だが、一方で思う。

我々が叫ぶ解放とか自由とはなんだろう。

思考であつらえたささやかな物語にすぎないようだ。

私は少しは泳げる。プールや砂浜の海岸で、いざとなれば足の着ける深さで。

だがもし、太平洋の真ん中で、陸も島も見えず周りにはもちろん船もない、

水深は数千mだったとしよう。何の枠もない自由の設定である。

そこに、ぽつんと放り出されたらどうなるのか。

恐怖感が襲ってくるのではないか。

無限に広がる時空間の「海」に人は圧倒されるだろう。

自由を喜びまた希求するには、逆説的ではあるが制限が必要なのだと思う。

「額縁」の中の幸せ?

それがエゴという限界であり思考の論理である。

人類は未だ無限の自由を受け入れる段階にはないのかもしれない。

この世での自由の究極は死、つまり肉体からの解放である。

高次元の絶対的な自由は人類にとっては恐怖なのだと思う。

それを回避するためにエゴという強固な障壁を自らが創りあげた。

人類の文明はその創世の物語なのだと思う。

肉体という器はまだ人類には必要なのだろうね。

いまの私には、世間知という狡さと結果、柔軟な精神を失った自身がのこっている。

くだらない知識とそれにまとわりつく感情の重さが身を包んでいる。

だが、

幸いなことに「美しい」方向に向くベクトルは見失っていない。

師匠のおかげである。




コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

重要関連リンク
QRコード
QR
カテゴリ
プロフィール

ロックエヴァ

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる