良寛さん

熊本を襲った大地震。続く余震と激しい雨風・・・・・。

渦中にいらっしゃる方々の心中を思うと、かける言葉も見当たらない。

うちの近くにもおよそ4000年昔の活断層がはしっていることが分かっている。

そして、いつ何が起きるかわからない。

「いま、ここ」。大切に生きる他には何もない。

次の文章は、2年ほど前にネットで見つけた良寛さんのお話である。

以下は全て引用である。
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「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。

これはこれ災難をのがるる妙法にて候」は、

近くの町を中心に大地震が起きた年、良寛が知人にあてた見舞い状の一節だ。

 このとき、良寛は71歳。災難や死はまぬがれようとしても、できるものではない。

自然の法則に身を任せようという心境が手紙から読み取れる。

健康が悪化するのはその2年後になる。

死期のせまった良寛に対し、

貞心尼は「生死など超越したつもりなのに、いざ別れとなると悲しい」という意昧の歌を送った。

良寛はこう詠み返した。

「うらを見せおもてを見せて散るもみじ」

 もみじの葉には表があり、裏がある。裏のない葉も、表のない葉もない。

表裏一体だからこそ、もみじの葉なのである。

人間社会での是非、善悪、貧富、貴賎‥、これらもすべて表裏一体と言える。

 良寛の生き方を「任運」、運に任せきったものだという見解がある。

達磨の行の二番目に「随縁行」があるが、

「勇猛な心」を持って自身の中にある仏性に目覚めながらも、

人間であるかぎり生、老、病、死からは逃れられない。

良寛は「縁」に従って、正直に一生懸命に生きた。

良寛には、もう一つ、辞世の歌が残されている。

「形見とて 何か残さむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみじ葉」

 もみじの枯れ葉は肥料となり、新たな生命を生みだす。

良寛は最愛の貞心尼に看病され、蒲団の上に坐り直し静かに亡くなったという。

1831年、74歳であった



春の嵐

今日は早朝から昼にかけて春の嵐が吹き荒れた。

傘をさして外に出たら、たちまち数本の骨がへし折れ、反対に向けたら

ラッパ状になって、びしょぬれになってしまった。

瞬間風速は30m毎秒を超えたらしい。

周りの木々を観ると、その様相がなかなか面白い。

欅や樫,椎、楓などは、幹はしっかりと立っているが、

枝葉の部分は風に泳ぎ、さわさわと騒がしい。

押されてはなびき、風が弱まると逆に大きく振れる。ワイパーのようだ。

竹林はどうか、これはもう、髪振り乱す如くに揺れに揺れてちぎれた葉が

空を舞う。竹の根は意外にも浅く張りも狭いから、倒れやすい。

見る限り数本は倒れ大きく傾いている。

彼らは風には弱いので地下茎で連帯し群生して受ける力を分散する。

弱い老竹は倒れるが、なにもうすぐ筍の時期だ。子孫は地下で準備中なのだ。

菜の花は盛りを過ぎた時ではあったが全部倒され折られ花はほとんどが散った、

しかし、決して死んだわけではなく、折れたままに生き続け菜種のさやが実るまで

枯れることはない。したたかさには感心する。

満開を少し過ぎた桜でさえ、花は残った。受粉が終わるまでは、散るモノか、

という強い意志のごときものを見せてくれた。

庭の主役の数本の槙は刈り込みをしてはいるとはいえ、葉っぱもろとも微動だにしない。

嵐に向かって毅然と立つ姿は威容ともいえる。

大きな波のように揺れ動く木々の中にあって孤高ともいえる静かさだ。

嵐に向かう木々草花はそれぞれが選択したやり方で耐えきった。

それぞれに、何千万年にわたって蓄積し洗練され磨かれた方程式が生きている。

それにしても槙はカッコいいよな~~~。

でも、もっと強い風には、姿はそのままで倒される。そして枯れる。

竹には群れの絆がある、竹林は残るのだ。

だが私は雑木や菜の花のように、しなやかな、したたかな生き方が好みだ。

夕方、嵐の後の静けさが訪れた。何事もなかったように木々は佇んでいる。

西の空は雲がはれ明るくなった。

明日はきっといい天気だ。


bssakura (2)

「散る桜 残る桜も 散る桜」

とは、良寛和尚の辞世の句ともいわれている。

生と死の対比を詠嘆的に桜花に託したものとの解釈が多いようだ。

この写真は、今朝撮ったもの、あと2週間もすれば葉桜になってしまうことは時の流れ。

しかし、一足先に咲いた山桜の花はすでに散ってしまったが、花弁の元には小さなふくらみが

育ち始めている。桜の実がひそやかに次のステージを歩んでいるのだ。

やがて、黒っぽい実になり、鳥のえさとなって啄まれ、未消化の種は地上に落ちて

うまくいけばそこで新しい生が始まる。

(サクランボは食用目的にした農業用の桜の実)

観賞用の桜と山桜はルーツは同じ、

散った花の後には形を変えて新たな生が始めっている。

桜の花は人の鑑賞のために咲くのではない、子孫を残す重要なセレモニーともいえる。

花見に浮かれるのも楽しいものだが、時間を俯瞰することも練習だ。

実はこの時期、モミジも花をつける。

直径2mmにも満たない小さな地味な花である。

ほとんどの人は気が付かないだろう。

もちろん実をなし、種をおとして子孫を残す。

花は主役にはなれないが、半年後の秋には見事な紅葉となって人を楽しませてくれる。

bsmomijiy (1)







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プロフィール

ロックエヴァ

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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