菜の花

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道沿いの細長い畑に菜の花が満開です。

黄色い輝くような花の群れから皆さんは元気をもらうそうです。

クライアントさんが教えてくれました。

菜の花の花言葉は、「快活な愛」「小さな幸せ」「快活」「活発」「元気いっぱい」「豊かさ、財産」。

だそうです。

四季のある日本に生まれて幸せですね。

ツワブキも緑色の葉を広げ陽光をいっぱいに浴びて元気そのものです。

たぶん、数日のうちに田舎料理の小鉢となって食卓に上ります。




bstuwabuki (1)


矛盾

Lさん

6年前には、菩提とは真実不変の実在であり膨大な意識ではなかろうかと

思っていましたが、私の誤りでした。

今では煩悩の対極には別の煩悩しかないように思います。

思索の先に意識の扉は開くのか?

無理です。不可能です。

求めて得られるものではありません。

だから、真の実在に触れるには、思考を止めるほかはないのです.

菩提とは、この世にあって事象の中の二つの対立する事柄の違いが分かる、

あ、そうなのね、という気づきの積み重ねのように思います。

我々のいう意識ではありません。

知識そのものが不確かで、さらに知識が暴走し、論理的な矛盾を露呈していました。

次元の違うもの比較して何の意義があるのか、ということです。

生半可な知識や論理矛盾に陥っていたのはこの私です。

ということなのです。

師匠の言葉

「真の自由を実現するために、理性への心酔は

断ち切らねばなりません。」



再度、煩悩

大量の文書類を整理していたら何かのコピーのようなものがあった。

タイトルは「煩悩」。仏教用語である。

まいど会ではかって一度も使われてきたことはないが、

エゴの表象とみることができそうだ。

読み返していると、どうやら私がかって書いた記憶がある。

印刷記録では2010年6月。

再度、記載してみた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)はすごい句だ。

非常に深い二つの言葉を「即」でつないである。

菩提とは智であり道であり覚である。叡智、真の道、覚醒である。

膨大な意識の意識である。

イマジンを学ぶ前は、煩悩がどうして菩提なのか、よく分からなかった。

「即」はこの場合、いいかえればとか、つまりとか、等しいという意味ではなく、

二つのものが互いに表裏の関係にあって分離できない状態をさす。

だから煩悩の真逆が菩提ということになる。

われわれは心の選択によってどちらの方向にも行けるようになっている。

しかし、エゴの強い粘性によって煩悩が限りなく肥大し、

まるで煩悩の海に浮かぶような状況にある。

溺れてしまって煩悩そのものの存在さえ気がつかないヒトがほとんどだろう。

煩悩を呼吸し、煩悩を食べ、煩悩の枕でお昼寝しているのだ。

心はもともと中立だが、未完成なままの脳の指令が強く、

煩悩の方向を選びがちなのである。

ヒトは煩悩大好きなのだ。煩悩が骨の髄までしみ込んでいるのだ。

だから、病気にもなり人間関係でも苦しむ。

苦しみながら、実はなにもわかってはいない。

自己観察を嫌う別のエゴが控えている。

嘆きのため息は深いが、吸い込むときはまたしても煩悩。

われわれのトレーニングは一日に数秒でもいいから真逆をむくこと。

だが「どうしたらいいの?」と聞くときにはすでに心は煩悩。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この世の事象はすべて、われわれが観ることにおいては相対的な様相を帯びる。

けれどもそのことを常に忘れ、一方の極に傾く。

善か悪か、白か黒か、愛情か憎悪か、長か短か、・・・・・・。

いったんどちらかに足を踏み入れれば対極には振れにくい。

心の原理である。

ステレオタイプ化することで、脳の省力化を狙っているのだ。

これこそがエゴの仕業である。

見切ればエゴは無力化する。

俯瞰せよ、といつも自分に言い聞かせている。






エゴ


10年ほど前に、師匠が「エゴは粒子ですよ」と言われたときは

驚くと同時に目が開きました。そうだったのか!と。

エゴとは形而上的な観念だとばかり思っていたのですが、

なるほど、粒子ならば分かる、腑に落ちました。

思考、感情という脳の働き(精神、理性など)を生成しつづけるエゴ、

エゴがあるから、思考、感情が起きるのか・・・・。

精神作用は3次元側にあるのですから、エゴも3次元側にしか

存在できません。

だから、我々の本質である純粋無垢の実在(内なる神)は、

高次元にあって、エゴの影響を全く受けません。

粒子ですから、視点を変えれば、波動となります。振動数を持っています。

エゴの表現が無数にあるのは振動数が違うからです。

素直なエゴもあるし、醜悪なエゴもある。

伝わるには時間もかかる、心理的な距離感が近いほど、エゴは強く作用します。

愛情も憎悪も強くなりますね。

エゴは時空間に縛られていますから、現在、過去、未来という時空の流れ

を編み出しました。

過去の記憶に苦しめられるというのも、未来への不安も、

ここに原点があります。

我々のいう「意識」は、流れや伝わる、という3次元的な動きとは全く

異質です。「場~フィールド」があるとしか、言いようがありません。

「いま、ここ」、は意識のほうに軸足を置かなければ理解不能です。

理解不能などという言葉を使いましたが、これは形容矛盾、

本当は、○○○、としか言えません。



この文章を書いたのも実は私のエゴのなせるわざ・・・・・・・・・・。

今日の師匠のコメントを読んで、たらたらと思い付きを書いただけです。






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プロフィール

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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