神は裁かず

神は判断せず

いまここ。

先日、大雪の昼下がり、雪見酒を飲みながら、

手元の紙に思わず書いてしまいました。

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23日の夜から雪が降り続き、24日は完全に白雪に覆われた。

身動きのできない初めての冬だった。

25日は学校は休校。

今日26日になって初めて融けだした。

110年に及ぶ観測史上初の17㎝を越す積雪。

うちの近くでは20~30㎝。

白一色の世界は浄化された世界そのもの。土地も家も道路も木々も、いろんな思惑も

蓄積してきた歪はリセットされたと思いたい。

雪国はこういう毎日は大変だという思いが実感として湧く。

しかし50年に一度くらいはいいものです。

遠くから、かすかに子供たちの歓声が聞こえてきた。

雪合戦でもやっているのか。

いつもやってくる猫たちも戸惑っている。24日は1匹だけやってきた。

昨日は3匹。

今日やっと5匹そろった。

裸足では冷たすぎるだろうね。できるなら靴を履かせてやりたいくらい。

私もこの冬、初めて靴下を履いた。




大寒の日の卵


昨日、大寒の日に産み落とされた鶏卵をクライアントさんからいただきました。

「大寒の日の卵」を食べると、今後一生、金運、健康運に恵まれるそうです。

そういえば、昨年もいただきました。

思いだしました。

この一年、確かに家族ともども健康だったし、仕事も順調に運びました。

昨夜は勉強会だったので、みなさんにもおすそ分けして、喜んでもらいました。

「こういう、楽しい,美味しい、嬉しい」きっかけは、ほっこりと心豊かになります。

きっと、先人の知恵ですね。

ニワトリさんも含め、養鶏業の方、流通に関連する皆さん方、

そしてMさんご家族に感謝します。

こういう節目を彩る「言い伝え」をつくってくれた方たちにも感謝。

間もなく、恵方巻をかじる日や、バレンタインデーもやってきます。

これだって、楽しめるならばこれらの日を喜んで受け取りましょう。

未来の幸せは、今を楽しめているかどうかなんですね。

いまの幸せの自覚。

思考を通してではなくふっと心に湧き上がる温かな灯火のようなもの。

未来とは、遠いものではありません。

明日でも明後日でも・・・・・・・。

明確な自覚を感じるのはおよそ2週間ほどたってから、だそうです。

日々の自分を俯瞰して待つというトレーニングデイが続けばの話ですが。

「不測に立ちて無有に遊ぶ」です。

蛇足ながら、いま、とは流れる時間とは無関係です。








遊ぶ


「不測に立ちて無有に遊ぶ」

コンビニでコーヒーを買ったついでに、書棚を覘(のぞ)くと、

日経ムックの表紙に書かれた文字が目に飛び込んできました。

この言葉、いいですね。荘子の言葉です。

意訳すれば

「先々のことを思い悩まず、今を受け入れ、楽しもうじゃないの」

ということでしょうか。

もっと短く

「(ハラを据えて) なるように なるさ」でもいいでしょう。

余計な思考は有害無益です。

脳の容量はたかが知れているのに、

糸を引くような悩み迷い怒りなど、また、副次的な思考感情の処理のために

たいせつな資源エネルギーを無駄に消費し、

本来すべきことが手につきません。

ただ、このような心的余裕は現代社会では育ちにくいですね。

秩序や法を重んじた孔子とは、真逆の立場です。

師匠から素敵な画像をいただきました。

ほとんどが神経症気味の日本人にはうってつけの意識の作用機序。

どんどん燃やしています。






「神人合一」をどうとらえるか?。

神と人はもともと一つです。

正しくは神のみなのだと思います。

それを忘れ、合一するための修行を求める人が後を絶ちません。

神と人を分離していることこそ思考なのです。

ただ,我は神という、確信を一層深めるための練習は必要です。

人の内部に潜む自我(思考)が分離させようと常にもくろんでいますから。

このトレーニングをエゴの抑制と我々は呼んでいます。



こういう句を見つけました。

「身は社、心に神を持ちながら、よそを訪なうこそ愚かなりけり」
<武道和選集>

近いですね。


神社を駆け巡り、お願いばかり。パワースポットさがし。願かけ。  邪魔なんですね。


膨大な意識(神)をふと思う時、温かで静かな穏やかな気持ちが湧き上がり

同じだ!と自覚する日々です、と言う友人がいます。いいですね。

フロイトやユングは人類に方向を少しだけ示してくれました。

用語、様式、プロセスは違いますが、彼らは偉大だと思います。

(精神分析をいまだ科学と認めない心理学者が多いそうです。それでよいのでしょう)


*私個人は、神社の静寂な厳かなたたずまいは好きです。
当然、「神」はありませんが「神さま」(祖霊、または人の創造神)はおられるかもしれません。
ですから、ご挨拶はさせていただきます。
こんにちは。近くに参りました。ご縁に感謝します。
尊敬する方に申し上げるのと同じです。


息吹

庭のしだれ梅の枝をあらためて見ると、開花がもういつでも良いような、

はちきれんばかりにつぼみの準備が整っておりました。

そう、指でポンとはじくとぱっと開くような・・・・・・。

枯草の下に透けて見えるのはスミレでした。

あらためて子細に観察すると、もう春の主役はとっくに出番を待っているようです。

昨年、猛威を振るった蔓性の植物たちは、例年は枯れるのですが、今年は

緑色のまま頑張っています。気候の温暖化を喜んでいるようです。

それにしても、

これほど急速な温暖化は異常です。

人間の仕業だけではないのかもしれません。

およそ半世紀前のこの時期は、当地でも雪が舞い、

いったん積もってしまえば日当たりの悪いところでは3,4日間は残雪があったものです。

つららをかじり、箱にそりをつけて坂道を滑ってはしゃいだ時代があったのです。

この7,8年粉雪が軽く舞っても積雪はなくなりました。

もう二度ともどれないのでしょうか。

我々が見ている森羅万象はいったい何なのでしょう。


無思考

先日JRでの待ち時間、キオスクの書店に立ち寄ると、玄侑宗久さんの本が目にとまった。

「ないがままにいきる」という新書版であった。

玄侑宗久さんは禅僧であり高名な作家である。

立ち読みの中で『無「思考」な時間が最良の判断を導く』という一項目が目に入った。

その中にあった一節

『・・・・禅の修行とは、死ぬほど叩かれながら、わざわざ無「思考」を訓練し、

そうした作り物のアイディンティティーを溶解させようとしているのである。

言葉が深い沈黙から湧き出すように、思考も実は無「思考」の混沌からしみだして出てくるほうが

素晴らしいのだと、仏教は教えている。・・・・・・』続けて、

般若心経を無心に唱えることを勧めておられる。

先日のわれわれの勉強会では「何も考えずに座す」、というトレーニングがあった。

もともと脳は静寂を苦手とし、避けようとして刺激に敏感に感応し判断をしたがる。

困ったもんだ、という別の思考が入ってくる。

こういう時、禅では警策が振り下ろされるのだろうか。

思考をしない、ということの難しさ。

とりあえず時空間に溶け込み、真我と対峙するなどと「思考」していた自分があって

参ってしまった。

そのうちに、自我の自覚がしばらく消える時があったが・・・・・・。






2秒

こんな本がありました。

『第一感・「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』(光文社)

Lさん

散々迷った挙句、さらに迷う。

こんなことを何年も続けている人がいる。

師匠 「空想の中で長い時間過ごしていないかい。」

空想はほとんど終わりのない妄想。

やめられたらいいですね。


えり好みはどういうこと?

師匠の言葉

「選り好みするものには 、一番まずいものが当たる。」

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最近の脳科学の知見によれば、

私たちに備わる視覚、聴覚などの五感は、あらゆる瞬間に1100万要素以上の

情報をとらえ、神経系を経由して脳に送っているらしい。

しかし、人が主に大脳で処理できる情報はどんなに大きく見ても40要素しかないといわれている。

これが我々のいう思考である。

ざるに水を入れると零れ落ちる水どころではなく、ほとんどの情報が素通りしてゆく、

破れ笊の目が思考。しかし人はその恐るべき貧弱な限界に気づかない。

人は思考しながら、迷いながら、悩みながら、少なくとも生きてはいる、と見える。

実は表層の皮相な意識の下に横たわる、適応的無意識とよばれる心的機能が働いて、

素早く対応し、人を生かしている、のだという。判断も思考に比べて正確である場合が多いらしい。

しかし、この部分も、自我。脳には限界がある。

ここまでは現代心理学のいうところで、

それはそれで仮説としては結構なことである。

だが、私たちは未だその先にある実在を気づく旅路の途中にあるらしい。

おもに仙骨と小脳を回廊とする膨大な意識がある。文字通り膨大で、

ひとつ一つの細胞だけではなく、それを構成する分子原子、

素粒子さらにはそれ以下の微粒子のすべてのふるまいを意識して

存在させてくれている。

自分がすべてを思考して自分をコントロールできている、とは思い上がりもはなはだしい。

私たち人類の文明はどのような時代のどのような地域であろうと

大きな見えない意識の実在を表現した片鱗がうかがえる。

昔から知ってはいるのだ。

だが時空間、質量という概念を獲得し逆にそれに縛られて、ますます目を塞がれている。

選択においても、思考にゆだねるほど、ますます、たくさんの宝を捨て去っている、

としか言えないようだ。

自分の中にある頑なな自我は、思考という認知システムをとおして、

エゴの存続と維持に成功した喜びにほくそ笑んでいる。

人生は苦労の連続らしい、そう考えなければ正しくないらしい。

一理はあっても・・・ね。

先ずは、

えり好みしないで、目の前のものをありがたく頂こう。

これを胸を開くともいう。真我が導いてくれる。

クライアントさんが来るまでの時間に一気に書いた、推敲はしていない。

乱暴な文章と論理かもしれない。

それを受け入れる。

センター試験が近い。

直感を生かせ、

しかし人生では、直感ではなく直観に信頼を置こう。


遠隔トリートメント

今日、夜10時からは、アメリカ西部在住の方に遠隔療法をする日だった。

現地では朝7時。

昨年の夏から、毎週定期的に施術している。

事前事後の報告やアドバイスはメールで行う。

さて、私のいる部屋からクライアントさんがどの向きに何万㎞の位置に

おられるのかはよくわからない。

が、結果は確実に報告で確認できる。

「いま、ここ」、の実感が湧く。

私の手からエナジービームが出ているのではないのだ。

時空を超えた世界がある。




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プロフィール

ロックエヴァ

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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