受動

植物は、気温や日照時間、風、土壌、微生物などのさまざまな環境条件を

完全に受けきって生成してゆく。身近な草木を見るたびにそう思う。

彼らは受動に徹していて、逆らうことはない。

それでも、花を咲かせ、実をなし、風や鳥、流れなどに任せて種を拡げ、地下茎で厳寒の冬を乗り越え、

強風や人に枝や茎をおられてもしぶとく生き、子孫を残す。見事である。

彼らには意識はあっても意思はない。

人はどうだろう。

意識と思考の両方をもちながら、ほとんど思考のみに価値を置いてきた。

思考。・・・努力つまりは頑張って手に入れること。「能動」、判断。意思。勉強。研鑽。訓練。思索・・・・・。

もちろん不要ということではない。「意識」と「調和のとれた思考」との融合が人類の課題だと思う。

意識の実在を忘れた思考は人類だけでなく地球そのものさえ危うくしそうな気配。

意識は、神性、縁、共時性、思わぬ幸運、時には神秘体験、つまりは運。求めて求めえず。「受動」

お任せして待つこと以外にはない。膨大な意識の意識の確信。

またもや浮かぶ老子の言葉 「招かずして而も自ずから来る」

桜の花びらはまだ散ってはいないが、受け取るうえでの教訓の確認は間近である。

今日は、メモをそのまま移した。

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心のくせ

10年以上も前のことだろうか、田舎道を車で走っていた。

比較的狭い道幅で制限速度40㎞の道路であった。

やがて前を走る車に追いついてしまったが、その車はいっこうに速度を上げない。

速度計を見れば、25~30㎞だった。

私の頭の中に、やがてイライラが始まって行く、くそ、馬鹿野郎、ここは公道だ、

せめて40㎞少し超すくらいで走れ、念を込めてイケイケ走れと心で怒鳴った。

私の後ろにはもうすでに2,3台の車が迫っている。

ハンドルに力が入る、無理して追い抜くか、・・・。

と迷っていると、隣に座ってる家内がのんびりとのたもうに

「良いんじゃないの、もうすぐ道は広くなるし永遠に続くわけではなし、我慢しなさいよ、安全、安全」。

追い抜きを諦めてしばらくすると、その車はゆっくりと右折して、農道に入っていった。

その時、運転者の横顔が見えた。

90歳近くのしなびた老人がしがみつくようにハンドルをにぎっているのだった。

うとましい心境に嵌ってしまった己に気恥しさと微かな罪悪感がわく。

未熟な自分にまたもイラつく。まったくもって、くそっ・・・・・・・。

家内の言葉のゆとりにマタマタ怒りがわいた。

「出来事」とその後に「起きる感情」は直結しているわけではない。

人によって受け入れ方は違うのだ。

出来事と湧き上がる感情の間に、その人独特の「認知のパターン」がある。

私のパターンは「公道は制限速度+10㎞ほどで走らなければならない、

それが出来なければ車に乗るな」のだが、

家内には「人それぞれ事情があって、仕方ない時もあるのよ」

私の認知が歪んでいたらしいことを痛烈に思い知らされた。

しかしなあ、枯葉マークぐらいはつけろよと、性懲りもなくつぶやいている。

自己観察はたいてい苦いものだ。一人では気がつきにくい。

いい勉強にはなったが心軽やかとは言い難い。

社会生活を送っていれば、様々な出来事が周りに起きる。感情が伴ってくる。

嫌な感情をまねく認知の歪は、その人の人生を制限するし、摩擦や軋轢を招くこともある。

もっといえば、人生が無味乾燥となり、周りが見えなくなるだけでなく、人が避けるようになる。

人生が面白くなくなるのだ。

臨床心理分野に「認知行動療法」というものがある。比較的新しい心理学である。

歪には10のパターンがあるという。世界標準の心理的な湿度計と言ってもよいだろう。

自己観察に少し役立つかもしれない。

http://www.ncn-k.net/azaz/nintip02_1.htm

しかし、ほとんどの人は関心がないだろうな。自身を観つめるなんて普通はしないからね。

自己否定に終わってしまい、再構築にまでにはなかなか行けないから。

もう一つ付け加えるならば、これさえも混沌としたエゴの交通整理にすぎないのだね。

われわれは、もっと次元の違う本質を観ようとしているのだが・・・・・。

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後日、ガソリンスタンドの定員さんとの雑談の中で聞いたこと。

「制限速度を大幅に下回る速度で走っていることに気がつかない時が免許証の返納時期ですよ」と・・・・・。

そういえば、最近やっとゴールド免許になったのだが、これは年のせいか!




力まないで

Lさん

思考は、意のままにはなりません。

いったん思いが湧いた後、それを浮かばないようにするのは、ほぼ不可能です。

頭の中に、意図せず湧き上がる観念に対しては、人は無力と言ってよいでしょう。

眠らねば、と思っていくら努力しても、ますます入眠が困難になるのと同じです。

焦るほど、思考(エゴ)は力を得ます。

戦ってはいけません。

じっと、そのままにしておきましょう。

その状態を、淡々と眺めることにしましょう。

そのうちに、エゴは沈んでゆきます。

これを自己観察と言います。

自己の思考の制御など出来ないとハラをくくりましょう。

意志力やこうでなければならないという知識(刷り込まれた概念、観念)では決して先に進めません。

苦悩は享受しさえすれば、やがて変性します。

もちろん少しの練習は必要です。

薬で逃げることもできますが、人としての意義ある実在を生きるには、

一時的な回避は別として、おすすめできません。

先ず、体の力を抜きます。息をゆっくりと吐きましょう。

画像があれば、所定のやり方で燃やします。

せっかくの縁です。会員としての「幸い」を活かしてください。



赤い実

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今日は、生け花の心得は全くないが、あえてそれを試みました。

多分、センスも何もないアレンジメントでしょう。

多分、人生で初めてです。公開するなんてお恥ずかしいかぎりですが。

鮮やかな赤い千両の実は遠ざかる冬の名残です。

その辺にに転がっていた器に、冬から春にかけてのシーンを花で表してみました。

水仙とヤツデの実は冬のシンボル。

紅梅は早春の象徴、若い杉の小枝は夏にかけてのサイン。

千両の葉が大きすぎるように思えるが、さてどうしたものか・・・。

先ずこういう時を持つことが許されている自分があることに感謝しよう。

ずっと昔聞いた華道の宗匠のお話を思い出したものです。

「花を生けるのも武将のたしなみの一つでした。

野辺の花をそのあたりにあるもの、たとえば割れ壺や椀、時には鐙に生けたものです。

明日、落城し討ち死にが待っていようとも、

このひと時を無心に遊ぶ心の静謐さこそ真の侍の姿でした・・・。」

確かに、ほんの10分ほど、時を忘れました。



師匠の言葉 「与えられている瞬間を時間と呼ぶ。」



娚の一生 (おとこのいっしょう)

新聞での評価は、たまにしかない5つ星。

その辛口の評論家が絶賛する映画を観にいきました。

「娚の一生」は女性漫画家が原作の映画で、52歳の大学教授と28歳の染色家との恋物語です。
(何で24歳も年が違うのか、・・・・映画を観に行きましょう。)

思いがけないきっかけから同居することになった2人。

大きな屋敷ですから、棟は別なのですが・・・・・。

じょじょに惹かれあうのですが、2人とも複雑な背景を持ち、なかなか恋が実りません。

すれ違い、思い違いは、恋愛映画の王道ですね。

さて、大学教授は、映画の中でタバコをしょっちゅう吸います。

紫煙が渦を巻き、スクリーンの外まで、私の席にまでおおいます。

((( かって私は50年近くも吸い続けてきました。数年前にやっと禁煙したのですが、

魔性の煙には耐えきれませんでした。

映画館を出て、すぐに煙草とライターを買いました。

彼は珍しくもマッチで火をつけていましたが・・・・・。)))

煙草もマッチもついでにウィスキーも翳のある恋愛映画のアイテムの一つです。

健康に気を配り、身だしなみに凝る、頭髪はきちんと定期的に調髪する・・・、

そういう陰影のない男は24歳違いの、しかも婚約者のいる女に、ためらいもなく恋したりはしないはず。

したがって映画や物語にはなりませんね。

彼の髪は首筋まで届く長さ、しかもかっこよくウエーブしています。

加えるに無精ひげ。

素足に下駄、パンツ(ズボン)はよれよれの黒デニム、白いシャツが良く似合います。

((( 私も帰宅して早速、靴棚の奥にしまっていた桐下駄を履いてみました。

居合道をやり始めたころから、冬も素足に雪駄ですからね。

カランコロンという軽いレトロな音は久しぶりです。

ついでにパンツもEDWINの細めの黒のジーパン。

ただ、頭だけは40年来の坊主なのでまねできません。

脚の長さも比較になりません。

現実は常に平均化してゆきます。)))

映画のラスト近く、予期しない小さなアクシデントで倒れた二人の顔が危険な距離に近づきました。

見つめあう2人の視線が絡み合います。(うまい演出です。)

お!チャンスか、と思ったのですが、この教授は常道の手法をとりません。

さりげなく顔を遠ざけ、転んだ彼女の足をやさしく持ち上げます。
(このシーンがポスターになっています。)

そして、彼女のソックスを脱がせ、素足となった足指に唇をつけ、ゆっくりと舌で舐めるのです。

チロチロと、指と指の間を丹念に・・・・・・・。

これはもう、手練にたけた大人にしかできない技法でしょう。

素人にはまねはできません。教授はしたたか者です。

アップになった彼女の顔が、おしよせる喜悦の波に耐えきれず美しく歪んでゆきます。

そこで場面が変わり・・・・・・。

ラストシーンは感動的なものでした。

今年の日本アカデミー賞の候補に入るでしょうね。

この映画の面白さは、

男女のそれぞれの心の奥深くにある機微に満ちた心理空間が少しずつ明らかになり

観客はそれに魅入られるのです。

この映画の根底に流れるのは「赦しと解放」、そして人としての成長です。

また、2人とも自分軸に迷いがない素直な人柄で、品性が高い。

官能的なシーンはあっても、ストーリーに納得のゆく必然性の結果です。

女性におすすめ ☆☆☆☆☆

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それにしても、たばこ吸ったり下駄履いたり、われわれ男はすぐに真似をします。

いい年した男が、健さんの映画を観た後の言葉使いやカッコを真似する、・・・・。

本物になりきれない男の見果てぬ夢なんでしょうね。





春節祭

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旧正月、長崎の市街地では春節祭が華やかに行われています。

とくに新地と呼ばれる中華街は赤色の洪水でした。

そしていたるところに飛び交う中国語。

上海から3000人の観光客を乗せたクルーズ船があいついで入港し、

その人たちが波のように押し寄せるので、もう本場中国そのものです。

圧倒的な中国人の圧力を身近に感じました。

手には大きな段ボール箱、大手のドラッグストアに群がる人々・・・。

大きな声で怒鳴りあうような会話。確かに勢いがあります。

小さな県にとっては、この経済効果の恩恵は大きいです。

およそ400年もの歴史があり、以前は中国寺や居留地などで行われていたお祭りを

観光イベントに立ち上げてからは20年以上になります。

剛腕、敏腕のプロデューサーがいて発展させてきました。

2月の経済の落ち込み時期が、ぱっと赤い色に輝きます。5日まで。

シャワートイレをはじめ大きな家電などを大事そうに抱えて帰国する皆さん。

ことしもよい年でありますように。





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プロフィール

ロックエヴァ

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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