孫のクイズ
中学生になったばかりのトモスケ(愛称)が、ニヤニヤしながらやってきた。
「じいちゃん、クイズだよ~~~。簡単な算数だよ~~~。」
「バットとボールは合わせて1100円です。バットはボールよりも1000円高いで~~す。
ではボールの値段はいくらでしょう~~~~か?」
数年前の、掛け算の九九を必死に暗唱している顔が浮かぶ、
それより前は足し算を手の指数えてやっていたな・・・。
そのトモスケがこのような問題をもってきた。
早いもんだと感慨にふけっていると、
「さあ、答えはいくらですか~~~~~~~。」
クイズ好きのトモスケのこと、何かトリックか裏がありそう、と思うのだが
「さて・・・・・・・・」
「100円かな・・」
何やら違和感を感じるのだが、ま、いいだろう・・・。
トモスケは待っていたかのように
「違うもんね~~~~。へへへへへへ・・・・・」
しょうがないな、案の定引っ掛かった。嬉しがらせてしまった。これも爺の役割か。
何十年かぶりに連立方程式だ。バットX円、ボールY円として
X+Y=1100
X-Y=1000
これから、X=1050円 Y=50円
おお、何と答えは50円。
トモスケは次の標的のばあちゃんに向かった。
ばあちゃんは即座に「100円だ~~~~。」
トモスケ「違うよ、ぜんぜんちがうよ、教えてやろうか」
「あそう、昼ごはん作ってるから、あとでね・・・・・・」
このような勘違いは結構多いようだ。
一種の錯覚である。
とは言いながら日常で連立方程式をたてて計算するほどに人は厳密さを求めてはいない。
それが人というものだ。
バットは1000円と思ったが、正解は1050円だ。
大した違いはないではないか。
煩わしさの方がよっぽど、頭にはよくない。
何せ、頭は怠けること、思考の節約、が好きなようだから・・・。
「じいちゃん、クイズだよ~~~。簡単な算数だよ~~~。」
「バットとボールは合わせて1100円です。バットはボールよりも1000円高いで~~す。
ではボールの値段はいくらでしょう~~~~か?」
数年前の、掛け算の九九を必死に暗唱している顔が浮かぶ、
それより前は足し算を手の指数えてやっていたな・・・。
そのトモスケがこのような問題をもってきた。
早いもんだと感慨にふけっていると、
「さあ、答えはいくらですか~~~~~~~。」
クイズ好きのトモスケのこと、何かトリックか裏がありそう、と思うのだが
「さて・・・・・・・・」
「100円かな・・」
何やら違和感を感じるのだが、ま、いいだろう・・・。
トモスケは待っていたかのように
「違うもんね~~~~。へへへへへへ・・・・・」
しょうがないな、案の定引っ掛かった。嬉しがらせてしまった。これも爺の役割か。
何十年かぶりに連立方程式だ。バットX円、ボールY円として
X+Y=1100
X-Y=1000
これから、X=1050円 Y=50円
おお、何と答えは50円。
トモスケは次の標的のばあちゃんに向かった。
ばあちゃんは即座に「100円だ~~~~。」
トモスケ「違うよ、ぜんぜんちがうよ、教えてやろうか」
「あそう、昼ごはん作ってるから、あとでね・・・・・・」
このような勘違いは結構多いようだ。
一種の錯覚である。
とは言いながら日常で連立方程式をたてて計算するほどに人は厳密さを求めてはいない。
それが人というものだ。
バットは1000円と思ったが、正解は1050円だ。
大した違いはないではないか。
煩わしさの方がよっぽど、頭にはよくない。
何せ、頭は怠けること、思考の節約、が好きなようだから・・・。