県警の拳銃射撃大会で優勝した刑事さんのインタビューから。

「的中させたいという気持ちがあると、力が入って手が震える。

照準を通してぼんやりと見える的を「この辺りかな」と大まかに

とらえて、気がつけば引き金を引いていた」

200点満点の194点だった。

すごい成績といえる。

結果を求めると、思考が働く。力む。

結果を求めなければ、思考は働きにくい。

成り行きにまかせる。

こういうことをハラを据えるというのだろう。

武道と同じだ。

人生の極意かもしれない。



良いも悪いも無い

うちの裏山を一つ越したところに、日本最古のキリシタン墓地がある。

さらに、近くには宣教師の処刑された記念碑があるし、

市内全域でキリシタン弾圧関連の凄惨な史実が語り継がれている。

ところが、これと重なるように、僧や神職、仏教徒へのキリシタン側からの激しい攻撃の史実も残っている。

我が藩の藩主がキリシタンに改宗したころから、その権威を借りたキリシタンの勢力が徒党を組み、

41もの神社仏閣を破壊し、多数の仏教徒を殺戮した。

近くには、冷泉寺、弥勒寺、立福寺、蓮花寺、などの地名だけ残る。

およそ400年ほど昔は、この地方は宗教戦争の真っ只中にあったのだ。

学校で習った日本史には、

一般に「隠れキリシタンは厳しい弾圧に耐え,命を懸けて純粋に信仰を守った」美談として

説明されているが、実は上記のような裏面史がある。

秀吉や家康の禁教令が無かったならば、今頃わたしはカトリックの信者だったかもしれない。

裏山には教会がそびえ、鐘が鳴っていたかもしれない。

インカ帝国がスペイン人に滅亡させられたように・・・・。

世界にも例を見ない300年も続いた平和な江戸時代が無かったかもしれないのだ。

秀吉も家康も、キリスト教宣布の底に流れるスペインの侵略の意図に気がつき、

未然に手を打ったのだろう。あらためて偉大な指導者だったと思う。

すべてに表裏がある。

正義だけ存在することはないのだ。

県は世界歴史文化遺産として県内に広がる教会群を申請するらしい。

それは良いことだが、史実は忘れないでおきたい。



映画

映画が大好きです。

最近だけでも、新作の、「レ・ミゼラブル」、「007スカイフォール」、

そして先日は山田洋次監督作品の「東京家族」を観ました。

レ・ミゼラブルは豪華な俳優陣と精密なセットで重厚な作品でした。

「人を赦す」のフランス版がテーマでした。

007最新作のスカイフォールでは、

ひたすら真面目なジェームスボンドもよかったのですが、

「東京家族」は久しぶりに日本映画の良さを実感しました。

深く優しい眼差しでゆっくりと丁寧に人物像が描かれています。

なかでも、妻夫木聡と蒼井優の演じる若いカップルの生き方には感動しました。

「今に生きる」「あるがまま」などというセリフがでてきますが、

とって付けではなく、違和感無く、風景に溶け込んでいました。

世界的な名匠・小津安二郎の「東京物語」(1953)に敬意を表してつくられた映画だそうです。

最後に「小津安二郎監督に捧げる」のタイトルがでてきます。

映画っていいですね。




梅の花

s-梅の花1


一年で一番寒い時期ですが、

雪空の下、強い寒風の吹きさらす中で

梅の花が咲き始めました。

まもなく立春、そして春風が吹きはじめます。

じっと待っておれば春は来るのです。

s-梅の花2

隙間

Lさん

お話の中で

「朝から晩まで寝る前まで、考え事でいっぱいです。

仕事や人間関係や様々なことを四六時中絶え間なく、うんざりするくらい

考えています。これって、物語を創ってるんですね。時間と空間の織り成す

模様を今日も間断なく織り込みました。私って、この綾そのものなんでしょうね。

いささか疲れました。・・・・・・・」

と言っていましたね。

私は思うのですが、

これこそがエゴの思うつぼなんですね。

膨大なエネルギーを消費させ、疲れ果てさせ、疲労困憊に追い込んで、

更にその先に見果てぬニンジンをちらつかせる、やられましたね。

お話の中に「間断なく」思考している、とありますがそうでしょうか。

思考はなだらかな曲線の描くように連続しているのでしょうか。

実は思考は粒子なんですね。粒子間に相似はありますが、互いに別物です。

間断なくではなく、粒子間は隙間なんです。

そここそが言わば意識の海とでもいえるのでしょう。

この間隙が、師匠の言われる静寂だと思うのです。

ここを自覚する事を「響きを聞く」といいます。

つまり、生かされている事に気づくのです。

思考は連続しているというのは幻想です。

あるいは脳の機能といってもよいでしょう。

作り物なんです。

すぐそばにある、ということはそういうことだとおもいますよ。

何年か前、私が気づいたのは何気なく見た楽譜でした。音と音の間は何も無い、

だけど、全体としては曲になる、それをわれわれは物語として聞いている。

静寂は文字通り静寂です。

世間の喧騒の中にあっても静寂です。

生かされているのです。




減塩

Fさんは、初老のスマートな男性である。

奥様は料理上手で、特にご主人の健康管理のため、減塩料理が得意という。

Fさんは人一倍健康なはずだが、

平均体温は35.5度よりも低いくらい、

血圧にいたっては、60~100くらいだそうである。

手足は冷たく、血の気が無いように見える。

そのためか、体調はすぐれない。

減塩の逆効果がはっきりとでているようだ。

高血圧は塩分の取りすぎが一因である、と多くの医師が減塩を

強力に勧めるが、根拠は薄いらしい。

むしろ百害合って一利なしのようだ。

老人の高血圧は塩分の取りすぎではなく、

加齢によるホルモンバランスの崩れからきている。

大脳基底核から調整すれば血圧は正常になることからも言える。

過度の減塩によって、体温が低くなり、免疫力は低下し、

動脈硬化は更に進む、脳梗塞や脳出血の心配も高くなる。

日に15g前後は摂りたいものだ。

Fさんは大の恐妻家である、

私の話しに耳を貸さない。

というよりも、刷り込まれた医学常識に人生の後半を彩り薄くしてしまった。

紙のように白っぽい顔が輝く日は来るのだろうか。





ミトコンドリア

地方紙の特集記事から、

「細胞の中にあるミトコンドリアは母の遺伝情報をそのまま受け継ぐ。

そのゲノムを調べれば『母』を遡ることが可能である。

ミトコンドリアのゲノム解析で、日本人はみんな十数人の「おばあちゃん」に行き着くことが分かった」

その結果

「日本には狭い面積の割には非常に多様なグループが存在し、

他者との融和に努めてきた日本人の生き方を反映しているのではないか、

争いが多ければミトコンドリアが途絶える危険性がある。

争いが少ないからこそ、途絶えずにきた」

というような趣旨である。

古来から日本人は他者との争いよりも融和を優先してきたのだろう。

「和を以て貴しと為す」これは、

聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条に出てくる言葉である。

昔から、日本は和の国であった。

最近の殺伐とした世相の背景には、「和」つまり「ゆるす」ことを良しとせず、

「裁き」をもって報おうとする報復の思想が蔓延し始めたことがある。

血塗られた過酷な歴史的背景を持つ他の文化圏のスタンダードに学ぶ必要は本来はないのだ。

もともと、日本人の思想にはマッチングし難いのである。

『赦す』ことをアタマで学べるかどうかはわからないが、

せめて「許す」ことから始めたらどうだろうか。

思考ではあるけれど、多少は素直なエゴに向かう可能性はある。

「赦す」とは、内なる神との和解であり、両親との和解である。


Lさん

いよいよ受験シーズンですね。

私たちの頃は、理系といえども五教科(英数国理社)で受験でした。

私の苦手な古典もあったのです。

さて、先日、いつものコンビニの本のコーナーで、面白い知識を仕入れました。

万葉集では、「恋」に孤悲、古悲、故非、古比、故飛などを当てているということです。

その中で表音文字として一番多いのが「孤悲」だそうです。

今のような平仮名が生まれる少し前の黎明期には、さまざまな字を当てたのでしょう。

平安時代、1200年ほど昔です。

「恋」に「孤悲」をあてるなんてすごいと思いませんか。

一人になる悲しさがひしひしとつたわってくるではありませんか。

それ以上に、感覚的な慕情はこの字以外には無いように思えます。

大伴家持も使ったそうです。

一気に1200年の時を飛び越えて、家持さんが身近になりました。

受験勉強時代にこの事を知っておればもう少し古典が好きになっていたかも知れません。





スズメ

近所のコイン精米所の周りには、落ちた米粒をつつきにたくさんのスズメが集まってくる。

今日は、ざっと30羽ほどはいただろうか。

車の音や、突風や、人の気配や、猫の接近など、のストレスが常にある。

そのたびに、このスズメの群れは、ぱっと飛び上がり一団となって近くの木の枝などに飛び移る。

危機が去れば、やがてまた落ちた米粒のまわりに集まってくる。

これを何度も繰り返す。観ていると気の毒でかわいそうになってくる。

その一団の中にあって、

逃げる事をしないで、悠然と米粒を啄ばむ個体が1,2羽はいる。

たじろがず、落ち着いており、よくみれば他のスズメよりもふっくらとしているようだ。

生を楽しんでいるようにさえ観える。

スズメの小さな群れでさえ、すでに性格的な個体差があるのだろう。

スズメの寿命は1,2年ほどというから経験で学んだのではなさそう。

生まれつきの性質、性格の違いによるものか。

人においても性質、性格の根幹は決して変わらない。

変えようとする必要も無いのだ。

あるべき姿を作り上げ幻影を求めて彷徨う多くの人がいるが、

そのままでいい。

変えなくていい。

あらたな「視点をもつ」だけでいい。

「全体に降参する」度胸だけあればいい。

その練習だけはしたほうがいい。



大丈夫

Lさん

思考とは過去に基づく繰り返しだから、思考による言動は

思考にしばられて、一歩も前に出られません。

あなたの好きな「創造的行き方」とはまるで逆なのです。

思考の元でどうあがこうと、どのような工夫をなそうと、そこには出口はありません。

独創性は生まれないのです。

つまり、いうところのジャッジは今までの行き方のパターンをなぞるだけの手順に過ぎません。

貴方がなにをなそうとも、このパターンを、脳(アタマ)から強制的に踏襲させられるものです。

結果は目に見えています。

この悪循環から抜け出そうとするには、だから方法はないのです。

ですから「何もしないで、まかせる」。

だが、取り巻く状況が強固な鉄壁のようにも思えるのはエゴの観方であって、

本来は積み木細工のような脆いところがあるんですよ。

「大丈夫。困ったことにはならない」

これは師匠から頂いた一番多用する言葉です。





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プロフィール

ロックエヴァ

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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