御幣

私の住む地域の郷の新年会では、産土神の祭ってある神社に参拝した後、

集会場に集まって、お酒などをいただき、また新年用の御幣を配ります。

その担当が私に来ました。

今日は、御幣をはじめて作りました。

シンプルなのですが、奥が深いです。

最近は若い人は来ませんので、10家分つくりました。

インターネットには、つくり方が詳しく載っているので助かります。

昔は、古老から伝承されたものですが今はネットです。

今年も、いよいよ明日一日ですね。


雲間の光

最近、

雲間から、一筋の光が射し込むような一瞬が時々起きます。

脈絡もなく、すっと心が浮き立つような感覚が訪れます。

長く続きませんが、感謝や愛おしさや優しさなどが詰まった瞬間です。

背景が暗いほど光は明るく感じます。

どうやら俯瞰しているようにも思えます。

これからです。



元気な電飾

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うちの前を流れる幅30mほどの川に沿って上流に向かうと、

川は蛇行しながら幅は更に細くなり、7kmほど行ったところに、K村がある。

小さな郵便局や派出所、市の出張所、雑貨店、神社、保育園、診療所、住宅などがまとまって

小さな集落をなしている。

これといったものは何もないところだが、

10年ほど以前、みんなで元気になろうね、との呼びかけで

クリスマスのイルミネーションの飾り付けを各家が行なうようになったらしい。

LEDが普及し始めてからいっそう華やかになったようだ。

これが功を奏して、TVで紹介されたりしたところ、寒空の夜にもかかわらず、

相応の賑わいだそうである。

もともと野次馬気質の私だから今年もいってみた。

何と、氷川神社の社務所入り口にも電飾が・・・・。

実におおらかです。

さすがに鳥居だけはぽっかりと暗いままでしたが・・・・。

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エリオットの今

Lさん

イギリスの詩人T.Sエリオットの詩「荒地」の中に

『過去を過去性において見るのではなく、現在と──ときに未来と──並置して眺める、

同一平面上で眺めるということに他ならない。』(徳永暢三)

という部分があるそうです。

私たちのいう、『今』そのものを彼は体験しているようです。

時間の空間化ともいうらしい。

実際、『今』の体験は、稀にしか起きないし、持続時間も数分間から数十分。

でもこれで十分です。

だが求めるとやってこないし、技法だって延長線上にある種の期待があれば、

それは起きないようです。

無心に『待つ』ことです。

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ネット上の一節より
 
「私生活で悩んでいたエリオットの中には、その悩みを、

受身の状態で冷静に観察するもう一人のエリオットが棲んでいて、

後者のエリオット(批評的精神の旺盛な詩人エリオット)が、

この作品で私的エリオットをほとんど完全に変容させているのである

──豊かで不思議な何かへと。(徳永暢三著『T・S・エリオット』清水書院、以下同じ)

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これも、高次のエリオットが3次元のエゴまみれのエリオットを変容させ、

豊かで不思議な何かへと導いた、と読み替えれば面白いです。

実はBS-TVで列車紀行の番組の中、

エリオットが取り上げられ急いでメモしたことがこの文章を書くのきっかけとなりました。

未だ思考まみれですが、どこかに変容を待っている自分がいるようです。


個人

選挙がとうとう明日になった。

先日の勉強会で、ちょっとした政治談議になった。

面白いのは、支持政党がそれぞれに異なるところだった。

3次元の仕組みを見切り、見破り、そこから高次に飛翔しようとする

グループなのに、3次元の生き方、考え方は皆違う。

だが、3次元のみの呪縛の中で平面的に生きている多くの人々と違い

我等には、もう一つの高い次元がありそこでは自他の相違はなく、

左右、表裏を同時に観て「一」を知っている。

だから今の眼前の現象は幻影であるということを認識している(?)。

自分の中に、2つ以上の舞台があって必要に応じて行き来できる事を

知っている。

これは余裕だ。器だ。

争いから超然としていることができるし、

望めば議論討論の輪に入り思考を楽しむこともできよう。

かけがえのない本当の気づきにつながることなのだ。

Dコメントルームを読む機会がある人は幸いである。




山茶花

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母が40歳ころに植えた山茶花に、今年も、花が次々に咲き開く。

寒さを楽しんでいるような元気よさだ。

山茶花と書いて「さざんか」と読むのだが

本当は「さんさか」が正しいのだそうである。

ツバキ科に属し茶も同じ兄弟である。

だから、山茶花と書いて「さんちゃか」と読む読み方もあるそうだ。

しかし、いったん世間に広がってしまった読み方を訂正するのはとても難しい。

「山茶花の宿」を「さんさかのやど」「さんちゃかのやど」と読めば

ムードも変わってしまうだろう。

去年も同じ事を書いたような気がする。



大神神社

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あいにくの寒風と雪交じりの雨でしたが、かえって拝殿に積もった雪が神々しく

日本神道の原点に来れたと言う喜びと感謝で、体が熱くなりました。

待機所ではご祈祷を受ける初宮参りの初々しい親子と祖父祖母の幸せそうな一家が続々と

呼び出されてゆきます。思わず「幸せになってね」。

帰途、熱々のにゅう麺と柿の葉寿司が美味でした。



お守り

「お守り」とは、いいものですが、外に創った特殊な力に期待し願う、

ということですから、3次元的に見ればエゴの世界です。

自他の距離感が発生します。

空間時間が伴って湧いてきます。

内なる神を3次元の世界に引きずり降ろすことになりかねません。



高次元的に見れば、守られているのですよ、

本当は守る守られないなんて無いもありません、それに気がついてね、

と言うことになります。

つまりお守りは、普通の人が考えれば、何の効果もありません。

期待にはそえないようです。

当たり前ですね。

本当のお守りは、内なる神なんですね。

お守りを求める気持ちが消えた時に守られるということになります。

ふっと、そのように思いました。



とは言いながら、不思議なことに「真のお守り」があるんですね。

アナログ

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所用の合間を縫って長崎市で唯一とも言われる茅葺の古民家を見学した。

およそ三百年ほど昔、唐通事の何兆晋(がちょうしん)が別荘として

建てたと言われる「心田庵」である。

中にはみごとな茶室があり、長崎茶道の由緒が感じられた。

茅葺の屋根を見ると何故か心が癒される。ほっと落ち着く。

郷愁ではない、懐古趣味でもない、

心底から湧き上がる穏やかさである。

普通に見慣れた瓦屋根の規則性や、鋭角の輪郭、色調の意識的統一感がほとんど無い。

アナログなのである。揺らぎに満ちており、内なる情緒とシンクロするのだ。

近代建築はディジタル化が進む。強度と効率とアルミサッシに代表される

排除性、合理性、耐久性、・・・言うことなしなのだが、この茅葺とは真逆の進化だとも思える。

人の心はもともとアナログなのだ。

心田庵の名の由来は「心の田畑を耕すことがもっとも大事である」

というところからきているらしい。

グレーゾーンを排除し、ファジーを赦さぬマニュアル社会が我らの未来とすれば、

人の心は何処に向かうのか。

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境目

Lさん

今日という日は、どうして感じるのでしょうね。

何で生きているのか、などと考えるのだろう。

空気とはなんでしょうか。

実は境界線があります。

皮膚感覚に近いものですが、

自他を分けるもの。

ところが、

例えば、後ろの意識や、呼吸法で地芯をつかむ練習をする、

軟蘇の法などをやると、

この感覚が消えてゆきます。

哀愁感や、悲哀感、無常感などが

滑り落ちてゆきます。

境界がなくなってふわっと浮かんだ感じになります。

試してみましょう。

もうできるはずです。

人には、もう一つ別の感覚が分かるようになっているのですね。

最近、10年ほど前にもらった○○空間というエネロゴを眺めていたらゆらゆらと

異次元に行きました。

見る景色は同じですが、何かが違います。

生かされている、という感覚が如実に湧いてきます。

嬉しいですね。


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プロフィール

ロックエヴァ

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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