なぜ水なのか

保健水などはもともと、まいど会会員が高次元の意識とエネルギーを学ぶための

いわば教材として提供されたものです。

その後、一般の方からもたくさんの要望があって公開に踏み切ったいきさつがあります。

世に言う教育や伝承、教えなどというものは、

言葉、文字、所作、動作などを通して伝えられ、学ばされてきました。

3次元の物事はそれでもよかったわけです。

われわれ人類の文明は、このシステムによって連綿と続き、命脈を保ち,

更なる発展をして来ました。

人類史とは思考の蓄積の歴史ともいえましょう。

ところが、高次の学びには、このシステムが使えないのです。

思考を超えた世界ですから、文字、言葉などは不要というより、

学びの妨げにもなってしまうのです。

だから、「水」となったのです。

水はじつに不思議な物質です。

私たちは、数々の経験から水が高次の波動を伝える優れた媒体である事を知っていますし、

水が人体の70%を占める身近な存在である事を知っています。

だから、高次元は「水を飲めば分かるよ」というわけです。

症状を改善するために保健水を飲む、というよりも

飲むことによって生じた変化に高次の世界を知る、

というのが教材としての保健水の意義があるのです。

たとえば勉強会などで「脳幹」や「次元調整」「波動調整」などを飲むとかなりの方が

はっきりとした体感をもたれます。

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保健水などは、単なる水です。薬としての働きはありませんが、

ヒトは、3次元の存在であると同時に高次元の実在でもあるのです。

ですから、「変化」として気がつくのです。

ただし、「変化」として気がつくのは、3次元にいわば翻訳された結果です。

つまり、体感です。

体感は個人差が大きいですから、中には感じにくい方もいますが、

大丈夫です。高次の実在は分かっています。



名月や

中秋の名月、今日は厚い雲で見えない。

右脳使いの天才、宝井其角の句は華やかで豪放磊落だが、

和漢の古典を元にしたものも多く、素養が無ければ

分かりにくいものも多いといわれているが、

次の句は私にとってはとても分かりやすいものだ。

「名月や畳の上に松の影」

畳に松の影が落ちるのは、午後10~11時くらいだろうか。

江戸時代、この時刻には人工的な灯りは全く無かっただろう。

9月の澄み切った夜空に煌々と輝く月と松の黒い影は、

現代の光の雑音と化した夜とは異質なものだった。

静かな透明で明るい月夜だったのだろう。

こんな句もある。

「十五から酒を飲み出てけふの月」

私の時代の悪がきも皆そうであった・・・・。

この句の奥行きの深さは、白楽天や論語が下敷きになっているという。

そこに至ればもう分からないが、楽しい句である。

二句ともに、情景が目に浮かぶ。

其角は随分前に師匠から薦められ、今も楽しく味わっている。



不安感

孤独感、不安感はどういうときに生まれるのか。

「膨大な意識」から遠く離れたと思う時に生じる幻影である。

遠く離れるわけが無い。

常に生かされているのだ。

孤独感、不安感などは心がエゴに占領された時の心の現象だ。

鏡に映った己を自分だと気がつかない時に起きるのだ。

映った姿を他と観る時の心象である。

「遠く離れた・・・」この距離感こそが思考の規準であり、

エゴの砦なのである。

距離感が無と思えた時に、扉は開く。

すべては自分だ、と気がつく。

そこには至福がある。



不動心

不思議なことに「不動心」を広辞苑で引いても記載が無い。

インターネットの辞書検索にもでて来ない。

単語ではないんですね。

「不動」と「心」の合成語だったと知りました。

いかなることがあっても揺るぎの無い状態の心。

3次元世界においては、不動なんてありえません。

時空間は絶えず移ろっており、そこに住む我々も移ろうからです。

粒子のブラウン運動のように、絶え間なく振動し流れてゆきます。

不動の視点は決してありません。

しかし、昔から人は「不動心」を求めてきました。

ですが、思考の先にはないことを惨澹たる経験のうちに知らされました。

求めて、求め得なかったのは、方法を思考したからだったのです。

禅や瞑想などの特殊な修業体系はいまでも一般的ではありません。

われわれは、世界を影が無く俯瞰する、言い換えれば次元を超える

ことで近づいていますが、道のりは困難を極めます。

それはひとえに「思考してしまう」という難題があるからです。

ですが、たとえば「赦す」為にはこの視点でなければ不可能なのですね。

うっかりすると堂々巡りになります。

思考が滑り込んでくるからです。

方法を探すうちは決して不動心は体験できません。

大脳は視点を見つけることはできません。


思考から遠ざかる。

思考とは大脳の働きです。

思考をしっかりと観察すれば、思考のベクトルは怖れを向いています。

身を守り、人間関係を維持し、お金を失わないようにする、名誉を守る、立場を失いたくない、

など、の方策を次々と編み出します。失うことの怖れが、先のほうに見え隠れしています。

ですから、行動形態は避ける、無視する、攻撃する、などに収束してゆきます。

こころは快い穏やかで温かなものにはなりにくいです。

頭が痛くなるのは当然です。

寒々とした心象風景しか目の前には展開しません。

時にはご褒美があるかもしれませんが、それもまたエゴのずるいところです。

それに気がついて、本に頼ればまた別の乗り物に映るだけです。

だから、とりあえず

意識を置くところを大脳から遠ざけることが大切だと思います。

たとえば

脳幹もそうです。

丹田もそうです。

後ろの意識もそうです。

保健水を飲むのもいいです。

鈴を振るのもいいですね。

やってみれば、独特の気持ちよさがありますね。

扉を開くチャンスかもしれません。

トレーニングの材料はそこあります。

何もなくたって、呼吸法があります。




細胞の再生

先月、近くに住む外科医と話しをする機会があった。

医療の今後の形はどうなるのかとの質問に

「再生医療が第一に挙げられるでしょうね」ということだった。

明確に言い切った言葉がとても印象的であった。

今朝、NHKの番組「あさイチ」で、再生医療特集を放送していた。

特に、細胞シートの臨床研究が実用の段階に達しており、

治験も始まるという。

重い心臓病への対応や歯槽膿漏で溶けた歯骨の再生、

変形性膝関節症などの成功例は興味深いものだった。

会長コメントにもあるように、

保健水にも、未公開だが「細胞シート」が何種類かある。

特にリューマチ用はすでに何人かの人が使っている。

水を飲むことで、実際の細胞の再生が起きるのか?

アカデミックな立場から言えばとんでもないことだが、

まいど会の会員にとっては、なるほど、そうか、とうなずく人も多い。

意識とエネルギーの世界は無限の可能性を秘めている。



朝顔

s-asagao.jpg


はやくも朝夕が寒くなった。

夏の花々はすでに主役を降りたが、うちのアサガオはまだ健気に咲く。

青色のシンプルな姿がいとおしい。

葉は黄色くなり始め、ツルの勢いが消えて、幕引きの準備は整った。

そばでは、彼岸花の真っ赤な花が咲きそろい始めた。

すでに今年も3分の2は終わったんですね。



天地明察

江戸時代前期、日本では宣明暦を使っていたが、採用から800年に亘って積み重なってきた誤差のために

日食や月食,大小月、などの日が現実の天文現象から1,2日もずれるようになってきた。

現代とは違い緩やかな時の流れを許した時代であっても、各方面にさまざまな影響が生じはじめていた。

幕府の命を受け、改暦という困難な課題に取り組み、挫折や失敗を乗り越えて日本に合う大和暦を完成させた

渋川春海の生涯を描いた映画「天地明察」が、今全国で上映されている。

原作は冲方丁氏の500ページにもなる単行本で、2010年本屋大賞を受けた。

私は原作を読み、大いに感銘を受けたので、喜び勇んで映画を見に行ったが・・・・。

監督は「送り人」の滝田洋二郎氏。500ページを2時間の映画にまとめるのは

名監督であっても無理であったように思う。

原作は大河ドラマ向きの重厚な内容ゆえ残念であった。

ところで原作にキーマンとして登場する稀代の天才数学者関孝和が興味深い。

『発微算法』を著し、点竄術(てんざんじゅつ)すなわち筆算による代数の計算法を発明して、

和算が高等数学として発展するための基礎を作った。

世界で最も早い時期に行列式・終結式の概念を提案したことはよく知られる。

更には、ニュートンやライプニッツよりも早く微分積分の原初的な概念に達していたとも言われている。

そして先日の新聞で、京都大学の望月新一教授が数学の「最重要」整数理論

「ABC予想」を証明する論文を公開されたそうだ。

まだ、ほとんどの数学者が理解できない手法を開発しての展開だそうで、

検証には長い時間が必要というがおそらく間違いはないとのことである。

日本は数学においても昔から優れた業績をあげつづけている国なのだ。


天地明察を読んで、つくづく思うこと。

国家の戦略以上ともいえる根幹に深い理解を示す為政者、たくさんの優秀な人材、

それを長期にわたり支える続ける人々、卓越した才能が集合し発揮できる場、

などなどが綾なす見事に調和したプロジェクトが、

封建時代とされる江戸時代に存在したということは驚異に近い。




さてさて、民主国家ニッポン、何処へ行くのか。



黒備前

酒器


先日、「ふっ」と思いついて、伊勢丹百貨店にはいった。

六階のギャラリーで備前焼の展示会があっていた。

焼き物はもともと大好きである。

花器や食器、置物、などの中に酒器のコーナーがあって、

この酒呑と「ふっ」と目があってしまった。

深いしっとりした茶黒の地に金茶色の釉薬が極軽くかけられている。

自然の流れにまかされて作為がほとんど感じられない。

つまり鑑賞する側には、穏やかな安らぎが湧き上がるのである。

なるほど、いい値段がついている。

通り去りがたく、さりげなく前を四度ほども往復した。

呼びかけに抗えず、結局はそれに応えるほかは無く、購入することにした。

ちょうどその場に居合わせた陶芸作家が挨拶に来られた。

「この酒器への思いいれは深いです・・」

「ますますのご活躍を・・・」と私。

「ふっと」に基づく行動だったから、ジャッジの迷路には入らなかった

いい日であった。

黒備前酒呑 廣宗作

白湯のみ。

以前、師匠にもおしえていただいた白湯(さゆ)の話である。

あらためて白湯を適時に飲み始めてほぼ2ヶ月が過ぎた。

体調が極めていい。

思い煩うこともほとんどなくない。

世界最古の医学、アーユルヴェーダによれば、

白湯は内臓を洗い、浄化、解毒、するのだそうである。

ひいては煩悩さえも思い浮かべることが少なくなってくるそうなのだ。

やかんにきれいな水を入れて強火で沸かす。

私は、適量の保健水をまぜる。

火はIHは不可。必ず炎が出るもの。

沸騰したらふたをとる。換気扇をまわす。

少し火を小さくして10分ほど沸かし続ける。

直ぐ飲む分以外は保温器に入れて保存が出来る。

食事の時などに、すするようにしてゆっくりと飲む。

白湯がこれほどまでに甘く美味しいものとは気がつかなかった。

この感覚こそが浄化され始めた証らしい。

クライアントさんにもよく薦めているが、評判がいい。

肌がきれいになった、お通じがよくなった、ダイエットしているみたい、

疲れにくくなった、汗をしっかりとかくようになった、・・・。

飲みすぎはよくないそうだ。日に5,6カップまでだそうである。

朝夕が涼しくなってきた。

深まる秋と凍てつく冬に向けて心身の健康のために白湯をお薦めする。




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プロフィール

ロックエヴァ

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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