白雲

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つい1週間ほどまえまでは梅雨空で空いっぱいが雲だった。

そして、今日あらためて、しみじみと雲を眺めた。

みごとな積乱雲が成長している。

蒼穹に雄大な白雲は真夏の象徴だ。

気温は35度を越えていた。

わが伯父は、昭和20年のこの頃、ゼロ戦に乗って

白雲のかなたへ飛び立っていった。

67年が過ぎた。


すっきりと

老子「聖人は積まず」

「優れた人物は (欲しがる心を捨てているので)(必要の無いものを)

蓄えようとはしない。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

シンプルですっきりとした身の周り、心は澄み切って、欲心はない。

憧れます。

でも、このようになろうと頑張ったらどうなるか。

はたして頑張ってできることか?。

今までは、前進するには、ラッセル車のように、

困難を掻き分けて苦労して進まなければなりませんでした。

頑張るって事は、ある状態を欲しがることが前提にあります。

つまり欲心がそこにある。

形だけシンプルに見える演出は可能かもしれないが、

頑張るならばやがて心身ともに元に戻ります。

方法論に終始すれば答えはありません。

3次元平面をこすりまわすだけの徒労に終わります。

老子は無為からと言っています。

言葉を変えれば、(高次元から)俯瞰すること、といっているようです。

相応の練習方法はあります。

肉体を持った幸せを実感します。





当てる

見かけは全く同じ封筒を2つ準備した。

片方には演奏会のカラフルなパンフレットが入っている。

もう一方には、見かけ上の厚さをそろえるために

近くにあった紙を入れておいた。

パンフレットは、どちら側に入っているかは外から見る限り判別できない。

二つの封筒を2mほど離しておき、

どっちにパンフレットが入っているか当てる趣向である。

ゲームの前に、サンプル水の「次元調整」を飲んでもらった。

そして、「どちらに入っていますか?」

「1,2,3、ハイ、入っている方を指差して下さい」

8人中7人がパンフレット入りの方を当てた。

「たまたま、偶然、何となく、ピカット光った、手がひとりでに動いた、・・・・・・」

当てた人は、なぜ当たったのかを思考する。

だが、思考は不要なのだ。理由つけこそがエゴの得意とする分野だ。

次元を俯瞰して観えたのである。

封筒の内外を一瞬だが高次元から観たのである。

「次元調整」水は凄みを秘めている。

当分は販売しないが、実習会などで体験するのも面白いだろう。

2回目の実験はしなかった。もう思考が噴出し始めているし、

がんばろうとする姿勢が見えたからである。

もうそうなれば俯瞰は無理なのである。

ビギナーズラックにどこか似ているね。




次元

ヒトは散々に自分を理想の自分に変えようと必死ですが、

とくに性格は変わらないです。

変えなくてもいいのです。

ただし、活動する舞台は広く出来ます。

エゴの力で、狭くしか使えなかった舞台が

エゴを抑制することで広くなります。

どうしたらいいのか?エゴは見られるのが一番弱いのです。

観察の大切さはそこにあります。

自分を見て笑い飛ばすのは、やや高等技術ですね。

もう一つは、エゴそのものを受け入れたしまうことです。

私って、エゴの塊よね。

知らないよりましでしょう。

エゴは少し抑制されます。

結果、ストレスは少し減少します。

がんばらないことです。

エゴは思い込みが激しいので、こうと決めたらその見方しか出来ません。

左を向いたら右が見えません。

ですから、偏った生き方になります。

この事を、しっかりと理解しておくことです。

ですが、左ばかり眺めていたら首が痛くなります。ふっと右を見たくなる。

ああ、その時、二面があるんだわ、私って片方だけにまみれていたのね。

これも気づきです。

不便なことに三次元では左右同時には観られません。

次元をアップすればよいのです。

三次元の時間空間の制限を外せばいいのです。

次元上昇といいます。

保健水本舗には「次元調整」という水があります。

飲んで、時々成功する人もいます。

15日は大阪実習会です。

この水を持ってゆきます。





驟雨

梅雨末期は前線が不安定になっていて、気まぐれな驟雨が襲ってくる。

所用で出かけるときには激しい雨がだった。

傘の布地からも雨水が滲み出すほどで、

地面は叩きつける雨粒で白く沸き立つほどの様子、

でも出かけなければならない。

車に乗り込み、仕事を済ませ帰ってきた、

車を降りるときにも傘を差すのが難儀するほどの雨だった。

衣服や、持ち物はぐっしょり、だが止むを得ない。

2,3分後突然雨が止み1時間たった今、当分は降り出す気配はない。

雲がニヤリと笑ったと感じた。青空がチラッとのぞいたのだ。

これをどう観るか。

意味づけしたくなるが、思考は不要なのだ。

おれの人生がそうなっているのだ。

びしょびしょに濡れていいのだ。

雨と晴れは表裏一体,選ぶ選ばないという言葉はこの際は不遜。

日ごろの悪さがたたったのか。

判断するなって。

罪悪感なんて3次元の思考の異物だろう?。

捨てるものは多いのだよ。




早朝から裏山や庭で、ウグイスが盛んに啼いている。

本来は、この時期には深山の谷間や山腹にいるはずなのに、

どうしたのだろうか。

帰りを忘れたのか、こちらが居心地がいいからなのか・・・・・。

ウグイスの鳴き声に混じって、普段は聞いたことのない鳥の声もする。

盆過ぎの、秋の入り口ころに現れる蝉が鳴き始めた。

それに、例年に比して、家や畑や庭の木々や雑草の勢いすごい。

猛々しいと表現するべきか。

もう家のほとんどは道路からは見えなくなってしまった。

みどりのネットで覆われたような威圧感に圧倒される。

数本の鎌と1台のエンジン草刈機だけで戦いを挑むのはもう無理だ。

例年とは何かが違う。

もどかしい思いが湧きあがる。

変化はわが内にある。

目の前の光景は、内なるものの投影だ。

やがて、いっせいに遺伝子の記憶が3次元空間に展開されるのだろうか。


グスコーブドリの伝記

昨日は宮沢賢治原作のアニメ映画「グスコーブドリの伝記」を観た。

封きり初日の土曜日だし、名作の映画化だから混みあうだろうな,

と思って入ったら観客は20人に満たなかった。

シネマコンプレックスだから150人は大丈夫なはず。

そういうものか。子供の観客はなし。

とてもきれいな画面で、丁寧に作られていた。

グスコーブドリは前作の「銀河鉄道の夜」と同じように擬人化した猫。

しかも青猫だった。

青猫のブドリは感情を決して顔には表さない。

無表情だが、それでいて温かい。

不思議な画面が静かに流れるように進む。

悪い癖で、画面に物語を上乗せして、エゴが反応し、思考が湧き上がる。

「何を言いたいのか」「意図は何か」「イタリアらしいのにこの鳥居の象徴は」

「宮崎駿の影響がここにはあるな~~~」

もう一つ「何で猫?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


でも、楽しめました。

俗な言葉では「癒された」のです。

静かな透明感のある哀愁、悲しさ、やはり日本映画でした。



課題

Lさん

人が「自我」に気がつくのは何時なんでしょうか。

他との対比の中で徐々に築かれてゆくはずですから、

おそらく、「他」は母親が初めてなのでしょう。

母親を目で追うようになった時には,

他を自覚していることになると思います。

心理学的な精密さとはこの際問わないで下さい。

このあたりがエゴの自覚の始まりです。

自他の区別から、空間認識が生まれ、距離感が発生するようです。

近い、遠い、これは心理空間にも及びます。

心許せる、許せない・・・・。

こうしてみると、意外にエゴは早くに出来上がるようです。

肉体に備わったシステムですから、万人に共通のもの、

備わっていたものが発現したともいえます。

3次元の認識ですが、ある意味、人間的な苦悩の始まりともいえますね。

それでも人は生まれてきます。

以って生まれた課題を背負っていますね。

だからヒトだともいえます。

対比でしかものが見えないとは、

紙の表裏で言えば片方だけしか見えないことです。

よく考えれば、不思議なことです。

課題とは、両方同時に認識出来る様になること。

その瞬間、課された問題は消えますからね。






エゴ

Lさん

エゴとは何か、師匠は決して事細かな説明はしてくれません。

その時々に、気づく方向を示されるだけです。

全体像は自分で気がつけ、なのです。

おもわず、えっ、これってエゴ?ということだってあります。

私流に一言で言えば

本来中立な心を、恐怖の方向に向けさせるもの、

と言うことになります。

恐怖の方向に向かって突進する攻撃心、

怖れからの退避、たとえば言い訳、うそ、

怖れを無視しようとする、たとえば虚無感、

怖れを向きながら、愛情を模索する不安、

無数にあります。

日々、人それぞれ、雲霞のように湧き上がる絶え間ない感情と思考。

エゴは粒子でもあるのですよ。

更にはエゴ同士の連帯感はゼロ。だからア~でもない,コ~でもない、

という思考の迷路に堕ち易いのです。

時間、空間すべてエゴの表現方法なのだけど・・・・・。

過激すぎますのでやめましょう。

自己観察が必要な理由です。

たとえば内観法は、「感謝」を見出すようにします。

日本が世界に誇る心の療法です。

ただし、「感謝の方を向いたほうが都合がよくって気持ちいいエゴ」

というのがあってたいていこれに引っかかってしまいます。

感謝がまだ未熟なんですね。言葉に引っかかります。

恐怖を遠くに見ながら目を避けて歓喜(?)の涙を流しています。

やがてもとの木阿弥。成功する方は少ないです。

それだけエゴは手ごわいのです。

むしろ、エゴまみれの自分であってもそれでよし、と許可を与えることです。

ここのところは、エゴが苦手で、エゴのもっとも弱いところです。

心を開くということです。




ヒッグス粒子

多分今年の物理学界関連のニュースではトップになるはずだ。

以下は、MSNのニュース欄からの引用である。

「物質に重さ(質量)をもたらす素粒子で、約50年前に存在が予言されながら見つかっていない

「ヒッグス粒子」を探している欧州合同原子核研究所(CERN)は4日、

ヒッグス粒子とみられる新粒子を発見したと発表した。

日米欧の2つの実験チームの最新の研究成果を基に統一見解を公表した。

さらに検証して年内にも結論が出る見通しで、物理学の歴史に残る大発見が間近に迫った。

ヒッグス粒子は物質の最小単位である素粒子の一つで、すべての物質に重さを与えているとされる。

素粒子の基本法則の「標準理論」で示された粒子の中で唯一、見つかっていない「最後の素粒子」で、

発見すればノーベル賞の受賞は確実視されている。」

物理学を少しでもかじったことのあるものには、

このニュースにであえてよかった、生きている甲斐があった、と思うはずである。

私は車の中のラジオで聞いた。思わず、不覚にも涙が出た。

質量の原因とは何かと問われ、40年昔の新米の物理学教師は、

教壇に立ったまま一言も応え切れなかったのだ。



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プロフィール

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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