季節感

不揃いのキュウリたち


新鮮極まりなく、柔らかく、みずみずしい香りのキュウリを

家内がどっさりと買ってきた。

500mほど離れた農家の無人直売所にあったそうだ。

これだけで、300円。

塩もみ、塩麹漬け、酢の物、糠漬け、かっぱ巻き、・・・と魅力的な

メニュウが浮かぶ。

高いのか安いのか私には分からないが、嬉しそうな家内の顔を見ると

きっと割安な値段だったのだろう。

おそらく、不揃いの市場には出せないキュウリたちです。

だからこそ美味しいのです。

濃緑の皮をむくき立ち上るキュウリの香気を知っていますか。

躍動の初夏の兆しです。



舞台

「本来、皆さんの生きる舞台はもっともっと広い。

可能性はもっともっと大きいのです。

それを縛り付けて狭小な舞台にしてしまっているのはエゴです。

エゴの抑制こそが第一です。思い浮かばないようにするのです。」

というようなお話を師匠に伺ったのはもう10年近く前になる。

あらためて我を眺めれば「純なるもの」を拘束している詳細は多岐にわたる。

死、喪失、分離、落下など身体維持に関する恐怖。

本能を満たされない怒り、攻撃心、防御反応、恐怖などもある。

これらは、多少の差はあるが人間として誰にもある共通した拘束だ。

そして各人の環境や生活体験から来る、「刷り込み」、「思い込み」など・・。

影のように貼りつき、その粘着質の強さに絶望的な思いをいだく人も多い。

心の傷もその一つだ。

殻を破れと人は気軽に言うが、出来ないから辛い人生になってしまう。

「刷り込み」、「思い込み」などは執拗にその人を縛る、拘束する、動きを封じる。

舞台を狭くする。時には舞台に上る機会さえ奪い破壊する。

分かっていても拘束力の強さにほとんどが負ける。

それでもヒトは戦おうとするのである。

挫折し、立ち上がり、挫折し、絶望し、また立ち上がる・・・・・。

これを善、正義とした刷り込み、思い込みとも知らずに。

真面目な人ほどこのサイクルに巻き込まれ出口の見当たらないままに一生を終える。

後には大量の本や資料や『いい人だった』が残される。

四苦八苦が人生そのもの、との達観,諦観も実は「思い込み」だ。

人生に勝った負けた、と見るのも3次元の呪縛だ。

表層意識,潜在意識,深層意識などと分類し並べて解釈しても何の意義ありや。

「今」の私には不要なのだ。

まず、戦わない、考えない、捨てる、我慢しない・・・・・。

「何とかしようとしない」

「戦うのを止めて、降参する」

「相手を通して自我が分かる」、鏡を観る。

「これでいいのだ」、と肯定する。

「なりゆきにまかせる」、

「流れに身をまかせる」

「笑う」

「俯瞰する」

さすれば、

新しい道が拓けるかもしれない。

何千年にもわたり人類が忘れ去っていた宝。




s-竹の子


タケノコの季節である。

特に今の時期は孟宗竹のタケノコが良く伸びる。

裏山は竹林になっていて、この時期は地面から目が離せない。

1日に、うっかりすると10cm~60cmは伸びる。

だから、地表に微かな盛り上がりの兆候や芽を見つけたら、

直ぐに掘りだすが良い。

ま、昼飯食ってからにするか、明日にするか、では後悔することになる。

時間がたつにつれて、味にえぐみが加わり、あくが強くて、

のどや舌がいがらっぽく感じる。

要するに、わずか数時間で「食えない」モノに変わるのだ。

その時を逃すなかれ。

だから空間時間には質がある。これは思考だ。

だが、「今」に評価は付随しない。唯一の実存。

さて、

写真のタケノコは、半日遅れて掘ったものだ。

食えるかどうか、

家内の厳しい審査に合格しなければならない。






無為

『信心銘』に、「智者は無為なり、愚人は自縛す」とある。

解説として

賢者は目的を求めて努力しない。

愚者は目的を求めるために己を縛る。

となっていた。

この解説には少し不満はあるが言葉の表現には限界があり、やむをえない。



さて、この言葉に出会ったのは、

平成初めだったので20年以上も前のことだ。

妙に気になる言葉ゆえ、メモ紙やノートなどに書き写しておいた。

思い出した折には、考えたり、暫くながめたりしていたものだ。

知識としての出会いであった。



「無為」とは森羅万象すべての裏表が同時に見える位置にあり、

その視野に立つ無為だから、

三次元、世間の「為す術を知らず」、とは完全に違ったものだ。

表裏の判断が思考であり、表裏が渾然一体とは思考をしないということ。



不安や焦燥感に満ちたまま、何も出来ない今の政府とは次元が違う。

一方しか見えないから、自己に有利な答えを他に強いるを無智という。

師匠の言葉を借りれば「自分で問題を作り、自分で答えを出すこと」

これを思考という。

これが愚者。


今日

s-さくら散った


うちの遅咲きの桜は完全に葉桜に変わり、水鉢にはなごりの花びらが浮かんでいる。

咲誇った7日間の宴の終わりだ。

今日の日中の風は久しぶりに爽やかなそよ風だった。

早くも初夏の序曲。

あと2週間ほどでゴールデンウイーク、立夏(5月5日ころ)と続く。

時のたつのが早い。

俗な大人にとって時間は、言い訳であり思考の船。

今を大切にしなきゃ・・・。

馬鹿だね、それはまだまだ思考だよ。

s-こでまり咲き始め

s-つつじ咲く




記憶

人間は生まれつき、人の幸いを喜び、人の不幸を悲しむことが

自然に出来るようになっているそうです。

ところが、父母をはじめとする環境からの教育によって、

人の幸せをねたみ、人の不幸を喜ぶようになってしまうのだそうです。

思考判断のトレーニングが教育とすれば、結局そういうものなのです。

比較、判断によって、優劣、強弱、長短、美醜、損得、有利不利・・・

どちらかを一方的に決め付けることですからね。

ですから、真の学びとは本質的には遺伝子の記憶を思い出すことなのです。

記憶にあるからこそ『愛』や『感謝』などを学べるのかもしれません。

ほとんどの家で連綿と続くネガティブな連鎖。

この連鎖を終わらせることが子孫の課題ですね。

エゴの抑制は、すなわち先祖供養となる、というわけです。


保健水に「遺伝子の記憶」という水があります。

師匠から聞いたお話と結びつきました。

遠隔療法

いわゆる「遠隔療法」について、先日インターネットで検索したら約86万件もあった。

ということは、遠隔療法を施術の一環として仕事でしている人を含め、実践している人が

相当数はいる可能性はある。(医学系の医師の指示によるものを除く)

気功系、スピリチュアル系、エネルギー療法系、宗教系など様々なようである。

私が遠隔療法の存在を知ったのは昭和50年前後だったと思う。36年ほど昔のことである。

ある民間療法研究家が著書で紹介していたのだ。

この本の中では、施術者に、あらかじめ写真や髪の毛、肌着などを送っておき、

その後、電話を使いながら対応する方式だったようだ。

これは、かなりの評判を呼び予約待ちの方が多かったという。

ルーツを辿れば、遠隔療法という呼び方さえない古い時代から実際には行なわれていたと思われる。

次のような論理がまかり通っていた。

『・・・3次元での「思い」や「念」を4次元の時空を超えたエネルギーに変換して送信し、

患者さんに送り届け、結果を3次元の事象に戻す療法・・・・』

いかにも、という感じだがこれは本質的にはエゴの押し付けなのである。

奥さんが、わが夫を心の中で、けなし、悪し様に言い、こき下ろす、ことと基本的には同じなのだ。

相応の結果は、まず夫に現れ、続いて自身にも現れる。

確かに遠隔による念の作用ではあるようだが。


本当の遠隔療法はこういうものではない。

自身が高次の存在である事を自覚する、それだけである。

もっと端的には、「自身が本当に幸せ」であればよい。

シンプルなのだ。

(実際には、遠隔も直接も違いはないのである。)

変換したり、戻したりと、複雑なプロセスを組み立てるのは思考そのもの、

3次元とはいつもややこしいものである。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

4月15日(日) 14時~ 大阪実習会。

会場 アネックスパル法円坂 JR森ノ宮から徒歩8分ほど



誰か?

s-光る海


「人の幸せを願う」「人びとを愛する」ということは「エゴ」ですよ、

と言ったら、ど~~~~ん、と反発を食らってしまいました。

確かに、絶対に考えられないこと、とんでもないことか、となってしまいます。

だが、行為をなす(思う)前に、願う相手、愛する相手が必要になります。

自分にとって「他」の存在が欠かせないのです。

自他といった瞬間、自他の間には心理的、空間的な距離感が生まれます。

この距離感が自他を分けるものであり、思考の源泉である脳機能の現れです。

もともと距離感は脳の働きであって、「実在」ではないのです。

ま、3次元を定義する一要素ではありますし、その中にどっぷりとつかっている

我々にはリアルな存在であるとは言えますが・・・。

ですから、私は幻想です、などといったこともある。作り物なのです。

脳の働きを、じっと観察してみましょう。

かなり大雑把ですが、

失いたくない、落ちたくない、避けたい、逃げたい、ではどうするか・・・。

有利か不利か、損か得か、有利な判断の優越感、時には判断ミスの後悔、

反省、新た悩みの生成、そういうようなことばかりです。

判断、選択がほとんどすべてです。

では真の意味での創造はどうなるのか?、

確かにありますが脳の制限領域から生まれたものではありません。
(創造は脳の働きを停止したときに生まれます。)

さてと、

脳の働きは、ほとんどが損得の対策に明け暮れる思考、感情だけです。

見方を変えれば、刷り込みや思い込みの実践となります。

私たちを絶えず苦しめる不安や心配事から始まり、怒り、妬みまで

語彙の豊富さには事欠きません。

もう一度書くと、自他の距離感の先には思考、判断がありさらにその先には

喪失への「怖れ」が見えます。

エゴです。

ですから、先ず何よりも先に、距離感を無くせば良い、ということになります。

つまりは、考えないということです。判断をしないという事です。

自分に降りかかる諸問題を判断なしで、まるごと受け入れることです。

言葉を変えれば、覚悟する、ハラをすえる、となりますね。

覚悟とは、悟を覚す、です。

ハラとは丹田であり、仙骨であり、小脳、仙骨に直結します。

人によっては、高次元を体験することにつながるでしょうね。

求める、は思考です、待つに徹する。

さて、では『人の幸せを願ったり、愛してはいけないことなのか?』

と言われましたが、

「いけない」とはいってません。

「誤り」だとも言ってません。

3次元では無理です、とだけ言っているのです。


思考を停止すれば高次元、そこには自他の区別はありません、

自分を愛することと他を愛することは同じなんだ、となりますね。

高次元に行けたからといって、おそらく自覚はないでしょうね。

ですが、周りの人が『幸せ』になります。



蛇足ながら、わが身、わが体も3次元では他なんですよ。

蛇足に次ぐ蛇足。

脳は悪者ではありません。必要なのです。

協力して物事をなす、助け合う、いとおしむ、・・・・・

それもまた自然な脳の働きです。


新時代に向けて「継ぐのは誰か?」なのです。

願い

イマジンで学んだことは、

「人が幸せになれない」ということは

いつも「幸せになりたいと願うこと」から来ているということだ。

つまり、

「いま、私は幸せではないのよ」と言っていることと同じである。

常に、不足感、欠乏感、不満足感、などが根底にある。

表層の願いとは裏腹に、深層は不足、欠乏、不満、でいっぱいなのだ。

それらの状況はいとも簡単に、するすると忍び寄ってくる。

つまり、(不足、欠乏、不満などの惨澹たる)願いは叶ったのだ。

そのことを少しも不可解とも疑問とも思わない頭の働きがある。

この思考や感情がエゴなのだ。

民主主義とは、話し合いで人々の不満、不満足、不平感、などを

出来るだけ満たそう、とする装置だけれども、

決して全員が満足するようにはならないのだ。

凸凹の地面をブルトーザーで平らにならすようなもの。

ベースがベースだから、エゴの言い分は常に声高でかしましい。

2000年もたているのだが、いっこうに磨がきがかからない。

成熟に向かう気配がない。

つまり民主主義は「誤り」なのである。

不安や心配事は絶えることなく、憎悪や怒りは増幅するばかり・・・・。

エゴのすり合わせだから決して洗練された域に到達することはありえない。

もっといえば3次元には正解はないということ。

高次に気づけ。

俯瞰せよ。

これは私への言葉。


使役される

「日本人の祈り 心の風景」(中西進著・・・万葉学の第一人者)

を読んでいたら、次のような内容の話が載っていた。

『受身の大切さ』の中より。

[創画展]の会場で、

著者は画を前にした画家の石本正さんと話をしようと思ったが,

氏はほとんど語らない。

ただ、「モデルがこの絵を描かせてくれた」というばかりであった。

どうしてだろう?と、とまどうところからエッセイが展開してゆく。

そして次のようなことに気がついた、と記してあった。

「自然やモデルが画を描かせてくれるという思想の深みを知ってみると、

まずは相手に身をゆだね,そのなすままに使役されること。

その中に自発的に可能性が潜んでいると考えるということがいかに

本質的であるかが、よくわかった。」

「身をゆだね、使役される・・・・」、この部分について

ほとんどの読者の、目には映るが印象に深く残るかどうか、だろう。

エゴを抑制し、思考を停止する、著者はその本質に気づかれたのだろう。

創作とは、考えることではなく頂くものなのだ。

受動に直結するほど独創性は高まるといえる。

「まったき受動」が重要であることは、

師匠から何年にも渡って教えてもらっているのだが、

この著者のように自ら受動の真髄を見抜かれた方が居られる。

石本正さんの画をぜひ見てみたいものである。


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プロフィール

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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