原点

ずっと以前から

「大三島の呼吸は

思考を停止して、

エゴを抑制して、

肉体の矯正を行うことから

はじまるように仕組まれている。

ただ、これをして

どうなろうとか 、

なにかを求めるとかは、よくありません。」

と言うお話を聞いています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これがすべてだと思います。

これ以上は無いのです。

幸せになるにはたったこれだけです。

3次元では正解がありません。ですから無数の答えがあります。

つまり何も解決しないのです。

だから、意識の顕在化している次元まで行こうというわけです。

呼吸は動作ですが、肉体を通して意識の門に入る唯一の道のようです。

そしてここから花が咲くようです。

肉体はエゴの巣窟のように言う人もいますが、とても大切なのです。

肉体を持った意味に気がつけばまた新たなものが見えるでしょうね。




善悪

ふと、ボツリヌス菌を思い出した。

ボツリヌス菌は食中毒の毒素としては極強毒性があり、過去から現在まで

多くの人が命を落としてきた。

一方で、この毒素を何万倍にもうすめると薬になる。

たとえば、緊張している筋肉を麻痺させ、

筋肉の緊張によって起こる様々な症状などの改善にも特効をしめす。

あるいは美容的には顔のしわを消したり、

小顔にしたりと広く用いられるようになった。

人の都合によって猛毒になり、奇跡的な特効薬にもなる。

善悪はあくまでも人の側の判断できまる。

3次元においてはすべての事象に2面性がある。表裏一体なのだ。

つまり人が判断し、比較し、位置づけし、価値を創作したといえる。

絶対的なものは無いのにもかかわらず、絶対性を求めるから幻想となるのだ。

片方に目をつぶることをエゴと言う。

生み出すのは、アタマ。

だまされ、思い悩み、もがき苦しむのは、表裏が見えないからだ。

元々無いに等しい正解を欲しがるのもエゴ。

だから思考停止して次元上昇する。

3次元は脳の作った思考の結果だから、思考を停止さえすれば自動的に

次元は上がるということ。

表裏は消え存在に気がつく。

これを解放という。


赦す

Lさん

私たちは身の周りに起きる事を、「都合」によって例えば幸、不幸と言う風に

分けてとらえてしまいます。

幸とはあくまでも自分の都合にあうかどうかです。

この繰り返しの人生でした。

判断し、選択した結果が今の自分ですが幸せですか?。

実は幸不幸は表裏一体,一方だけを手に入れることはできません。

ですが、3次元のこの世にあっては、我々は努力や運などによって幸だけを取り入れることが可能だ、

という誤った生き方をしてきました。

未完成の未熟な脳は、相対的な見方しか出来ないようになっているのです。

3次元の幸不幸は高次元においては一つです。

この事を理解するには、脳と言うフィルターを通すことでは不可能です。

つまり思考の結果の理解ではないのです。

本当に気がつけば幸不幸は消えています。一つです。

俯瞰出来た、と言いますね。

たとえば愛情と憎悪は対極にあります。

男女の仲が愛情から憎悪に変わることはよくあります。

この世で憎悪に変わった心を愛情に戻すことができるでしょうか。

高次元の愛と言うものに気がつけば赦せます。可能と言えます。

頭では不可能ですから思考をとめる必要がありますが。

実は愛情、憎悪は脳の作った幻想なのです。

それに踊らされていただけなのです。

3次元から高次元に行く?ことを例えば「赦す」と言いますね。

別の言葉では「今」、を体験するともいいます。

ここで初めて、鏡の意味が分かります。

ヒトは自分しか見えません。

自分しか見ていないのです。

赦すのは自分なのです。

覚悟してください。



梅の花

sume.jpg


寒い寒いと言いながら、春はそこまで来ており、

気がつけば庭の梅の木に花が咲いていた。

梅の花は、桜の仲間ではあるが咲くのも散るのもゆっくりである。

兄弟なのに性格がまるっきり違う。

DNAの命じるままに咲き散り実を育て実る。

完全な受動だけで思考はない。

だから美しさに破綻がない。

風景画家の手腕の見せ所は、例えば、木々の枝を木々の個性を失わずに

如何に自然に描くか、と言うことだ、と聞いた。

技術の先に自然法則への完全な屈服が問われるのだ。

われわれの歪にゆがんだ文明はいま歪さの極にある。

根本的な誤りを知るべきである。

梅の花一輪さえも見事な教材になる。


良寛さん

良寛さんの言葉

「災難にあう時節には、災難にあうがよく候。

死ぬ時節には、死ぬがよく候。

これはこれ災難をのがるる妙法にて候」

以前にもブログに載せたことがあります。

若いころから心構えの拠り所としてきました。

ですが、この世にしがみつけばしがみつくほどとても難しい言葉です。

災難の対にあるのは無事無難、死の対語は生。

片方だけを選ぶことはできません。

であるならば、どのような状況であろうとも、今この時を受けきって由とする。

さすれば、恐怖から自由です。

解放です。

ただし、自身を俯瞰することが必要です。

離陸とも言います。

脳を経由しないことです。

シンプルですが簡単ではないです。

何十年も迷ってきましたからね。




鏡って何

鏡に向かって怒ったり、泣いたり、叫んだり、哀願したり・・・。

鏡に映るのは自分なのだけど、

どうしても鏡に対して人格を感じてしまうのはどうしてでしょうね。

これこそがエゴなんです。

自分に対して[離れている]ものに「他」を創ってしまう。

自分に相対する存在にしてしまう。

ここから価値観というエゴの決済条件が出てきます。

そして価値観に合わなければ,遠くなるほど情動がうまれますね。

かくの如き場から抜け出すには、

このような場合、思考は何の役にも立たないだけでなく大変な邪魔になりますね。

気づいたはいいのですが、まだまだ中途半端です。

かえって迷いは深くなりますね。

ですがすこしでも内側が見えてくれば前進といえます。



ああ、それから思考はこの世の道具ですからね。

うまく使えば楽しめますよ。

ですが、トリックにはまらないようにしましょうね。


くすり

薬で病気がよくなる人もいる。

薬を止めて快方に向かう人もいる。

薬を信じて呑んでよくならない人もいる。

薬を気休め程度に呑んでよくなる人もいる。

世に言うプラシーボ効果もあるね。

無数のケースがある。



正解はこの世界には無いと言うことである。

3次元には答えはない。

病気がよくなったのは薬ではなかった。

薬は、ほんのちょっとしたきっかけの一つだったのだろうね。

で、どうしてよくなったの?

病気と健康が表裏の関係にあることに気がついただけなのです。

それを受け入れることができるからヒトなのでしょうね。

私たちの本籍はどうやら3次元ではなさそうです。



立春

例年にない寒さが続く。

昨夜は当地でも観測史上はじめてという-5度を記録したそうだ。

雪が舞い、風は身を貫くように冷たく痛い。

だが、春は準備万端整ってすぐそこまで来ている。

木々を見れば、もう芽がしっかりと準備されている、

周りにわずかでも変化が起きれば、芽が息吹きだす気配だ。

蕾はわずかなふくらみだけど、先端を仔細に見れば花の色さえ分かる。

もうヨモギも褐色の庭に青い葉を滲み出そうとしている。

たくましく健気でこの季節の植物たちがとてもいとおしい。

アカシヤの木からゆっくりと下りてきた猫のブッチャンが

あくびをしながらストレッチをして、庭を横切っていった。

寒さの中でもトレーニングを欠かさないらしい。


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プロフィール

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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