春節祭

s門


旧暦の正月から節分にかけて長崎燈会(ランタンフェスティバル)が

長崎新地中華街を中心に市街地で賑わっています。赤と黄色の洪水です。

日本でありながら強烈に異国です。

今年も強引に時間を作って惹かれるように行きました。


s蒸篭

sらんたん

s龍

sランタン




今を観る。

「今を達成したら未来が見えてくる」

これはジャパネットたかた社長の言葉です。TVの対談で言っておられました。

たかたさんのすごいところは年間売上目標を定めないことらしい。

(前年を下回らないようにする、ということはある)

新一筆啓上賞では、米国在住の主婦Tさんが1歳の愛娘にあてた言葉。

「明日も公園に行こう。

明日で世界が終わるとしても、

一緒に公園にいって遊ぼう」。

最近、今、現在、を見据えた言葉がとても目に付きます。

「今」と「今まで」、「今から」は今という語を使っていますが、全く違います。

「今」は俯瞰した高い位置にいなければ見えない世界です。

「今まで」、「今から」は3次元の思考、判断に基づいた時間の流れを想定しています。

不安や不足感がどこかに付きまといます。

「今」に較べると次元が低くなっているのです。

ですから、「今」に気がつくことが大切です。

今を近い言葉で表すと「吾唯足るを知る」のような心の状態でしょうか。

すべての肯定であり、感謝のようです。

無為であり、作為がありません。あるがままです。

これがベースにあればこそ、達成、の本当の意味が見えてきます。

今の大切さが分かるから、公園に行こう、となるのです。

思考判断を超えてしまっているからです。

分かりにくいかもしれませんが、これからはいっそう大切な言葉です。


春一番

sぐいのみ


M百貨店のギャラリーで

女流作陶家内田裕子さんによる展示即売会が開かれていた。

京都、山科で制作されているそうだ。

酒器のコーナーが特設されていて、手で捻って作った「ぐいのみ」が

ずらりと並べてあっった。一つとして同じものはない。

月やウサギや木の葉などをあしらった、やわらかな大らかさ印象的だ。

一つ一つには名前があたえてある。

瞬間目に入ったのが「春一番」と名づけられたこの器だった。

他にも気に入ったものがたくさんあったが、

第一印象がすべて、

迷わない、

瞬時に決める、

感性一番、

そしてこの作陶家が、酒飲みと聞いて

これに決めた。

買うつもりで訪ねたのではなかった、

通りがかりのきまぐれだった、

成り行きまかせの買い物だった、

この器が「待っていました」と確かに言った。

その証に

このぐいのみ君がやってきてくれて

毎日がほのぼのと幸せです。

何もないけれど嬉しい。

もちろん酒がうまい。


幸福

幸福を求めても決して訪れません。

求めるものではないからです。

実は、本来私たちはずっと幸福なのです。

気がつかないようにされていただけなのです。

青い鳥伝説に代表されるように、我々の一部の人は

その事を知っていました。

自分が何者かを知っていたのです。

その存在の構造を、次元を超えて気がついていました。

ですから、われわれは思い出せばよいわけです。

記憶にアクセスすればよいということです。

やはりここでも言えることですが、

思考を止めてみる必要があります。

すべてがそこからのようです。

どうしたらいいの?

と聞く人が多いです。

それを止めればよいのです。


お母さん

先日、高齢で痴呆が進んだ母を訪ねた。

私を息子とは認知できない状態が長年続いている。

さびしい限りである。

その母の耳元に向かって「産んでくれてありがとう」と

何度も話しかけた。

何度目かの時に、母がこちらを振り向いた。

視線が合って一瞬眼の奥に光を見たように思う。

久しく途絶えていたが、確かな交流があった、瞬間蘇ったのである。

気のせいではなかった。思いもしなかったことだからだ。

母が正常ならば、恥ずかしくてとてもいえなかったかもしれない。

師匠の薦めだった。学びの大切なキーワードなのだ。

今日、大相撲初場所で初優勝した大関・把瑠都がインタビューの中で

満場の観客を目の前にして、観客席に来ていた母親に向かって

「お母さん、私を産んでくれてありがとう」といった。

えらい!!。あの若さで、しかも自然に出た言葉だった。

今日から私は把瑠都の大ファンとなった。



いま

ヒトは長いこと「いま」に気がつかなかった。

ほとんどのヒトはそうだった。

実在するのは「いま」だけなのに・・・・・。

「あのときに、やっておけばよかったんだ。残念で仕方がない」

「あの一言さえ言えば現在はもっとちがったはず・・・・」

「結婚記念日は○日です」

これは過去に生きています。

「3年後には会社を設立する」

「あなたを必ず幸せにします。」

「若く見られたい」

「5日後のプレゼンテーションがうまくいくだろうか」

未来に生きています。未来に過去を見ているにすぎません。

期待と不安と不足感と欠乏感でおおわれた「この時」は

「いま」ではありません。

「いま」は「いままで」とは無関係に存在します。

「いま」は「いまから」とは無関係です。

「いま」を生きることが大切です。

不満、不足、欠乏などを感じるのは比較し判断し推測し分析するから

時間にとらわれるのです。

つまり思考をするからです。

「いま」を生きるには「今が完全、」と認めることです。

同時に、自分を高見から俯瞰することです。

高次元に踏み入れるということです。時間を俯瞰することができます。

つまり時間に全く縛られないのです。

難しくないです。

そう思わせるのはエゴ、つまり思考だからです。

思考が邪魔しています。

なお、時間だけではありません。

必ず伴うもの、空間です。

今に随伴するものは「ここ」。

「いま」いるのは「ここ」しかありません。

いま、ここ、幸せ。コンプリート。

本当にこのことに徹することができれば

日記?要らない。

危機管理なんてナンセンス、各種保険も不要、貯金はしません、

カレンダー?いらないよ。時計?なにすんの。優先順位?関係ないね。

スケジュールノート?ありません。

読書、TV、新聞 要りません。

「いま」に気がつけば、何もかも変わるでしょうね。

一日に10秒でもこんな「今」が自覚できれば人生変わるよ。



極論すれば記録は不要、文字も要らない・・・。

いままでの文明が崩壊します。



ま、別の意味でどうしようもなくなっているけれどね。



念のために言っておけば、刹那的な享楽主義ではないですよ。

こちらは不安抱えながらのエゴのふるまい。

過去に執着し、未来に絶望しながらも縋りつこうとする煮え切らない

惨めなヒトです。



科学

先日16日の新聞に「不確定性原理に欠陥」、

「量子力学 見直し迫る」、との見出しがおどっていました。

このような記事を見るとワクワクします。

昨年のニュウトリノの超光速度観測、質量の起源ヒッグス粒子の発見、

などにつづく大発見だと思います。

もちろん科学技術の著しい進歩の賜物とはいえますが、別の見方をすれば

人類の内的な変化の結果であり、鏡に映る姿が変わってきたともいえます。。

絶対的と思われていた場の理論にズレ(誤差)があるということです。

たとえば時間空間は脳が環境を理解するための一要素であり

アルゴリズムに過ぎません。しかも一人一人の時空間は一致しないのです。

場を共同認識するための仮説なのですね。科学は常に仮説なのです。

それがより明確になってきたのです。

3次元には絶対はないのです。

詳しい論理的な解明は専門家に任せることにして、

われわれはざっくりと全体を俯瞰しさえすればよいのです。

つまり、科学は我々の観ている世界を決して超えることはできない。

ということです。常に後追いです。

我々の観ている世界を説明するのが科学だ、ではないのです。

我々は○○を観ているし知っています、体験さえしています。

言語表現ができないだけのことなのです。

これを世間では「科学的ではない」、とも言いますね。

科学はとても不自由なのです。

あえて言えばエゴと同根だからです。

科学とは、本来[離陸」すべき人類が、自らに捺した不可能という烙印の自責の

壮大な言い訳にも思えてなりません。

進化?

ジャーナリストの友人からぜひにと薦められて昨年発刊されて話題になった

ベストセラー「ジェノサイド」(高野和明著)を読んだ。

帯に「世界水準の超弩級エンタメ小説」とある。確かにそうだった。

特に人類の進化に関する部分は興味深い。

本の中に次のような部分があった。以下は、引用抜粋である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「未来のヒトは間もなく不意に来る」

現生人類から進化を遂げた次世代のヒトは、大脳新皮質をより増大させ

我々をはるかに凌駕する圧倒的な知性を有するはずである。

その知的能力を、オリヴィエはこのように推測する。

「第4次元の理解、複雑な全体をとっさに把握すること、第六感の獲得、

無限に発展した道徳意識の保有、特に我々の悟性には不可解な精神的な特質の所有」

(引用終わり)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、どうだろうか。

大脳新皮質の増大が本当に上記のようなことになるのだろうか。

われわれは、4次元の理解や、第六感の獲得については違う見解がある。

われわれはもともと完全なる存在である、全てがある、

それを覆う厚い殻がある。殻を破るだけでいい。

次元のトリックに気がつけばそれが分かる。

将来、大脳新皮質の増大という進化の可能性はあるだろう。

だが、大脳は3次元を2次元に変換して理解する装置だから、

4次元の理解には決して発展しないと思う。

まして、第六感は獲得するものではない、プレゼントなのだ。

道徳の究極は愛、愛はエゴ(判断、思考)を捨てたときに反対側に現れる光だ。

わずかなトレーニングだけでもこれらのことは言えると思う。

人類の進化とは何か。

面白いテーマである。

(読後直ぐなので簡単に思ったことを書きました。)




優先順位

禅の信心銘の中から

欲得現前(げんぜんをえんとほっすれば)

莫存順逆(じゅんぎゃくをそんすることなかれ)

「眼の前のことを得たいと思うのなら 順序など考えてはならない。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

われわれは小さいときから行動するにあたって、常に優先順位を判断する事を求められてきました。

この『原則』を寸毫も疑ったことはありませんでした。

当たり前のものとしてきました。

もちろん日常の中では間違った結果につながることはなかったかもしれません。

というよりどちらでもよいことに頭を悩ましていただけのようです。

目の前のことに全力を傾ける。

床にチリが落ちていれば直ぐにつまんでゴミ箱に入れる。

ただそれだけ。

思考判断は、迷い始めるとたいてい悲惨な結果になります。

ミッドウエー海戦における日本海軍の判断ミス、福島原発の後処理ミス、

・・・・・・、

頭を使いすぎたからです。直観よりも過去のデータを探り始めたのです。

分析、検索、比較、判断、予測、・・・エゴの大好きな単語ですね。

恐怖からの回避が前提ですから、次善の正常な判断さえ失われました。

映画「山本五十六」を観ていてつくずく思いました。




怖さの予想

先日の地元新聞のニュースです。

「K動物園に飼われているフクロテナガザルが水平に架けられた新設の巨大な雲梯(うんてい)を渡るために

特訓を受けている。雲梯の高さは13mもあり、サルが怖がっていまだ渡れないために徐々に高さを上げ、

慣れさせている、今やっと11mの高さまで渡れるようになった。

野生経験のない2匹は未知の高さを予想以上に警戒しているのだ。」

との記事です。

経験のない高さ、未知なるもの、危険の予測など、思考判断と感情が見て取れます。

サル君のことではあるけれど、エゴの起源がここにあるようです。

彼らにも「落っこちたら痛いだろうな、危ないな、恐怖から逃げよう・・・」

という頭の働きはあるのですが、DNAは大丈夫と教えますからやがては13mも難なくクリアするでしょう。

うちの猫たちも、弾みで屋根に上ってしまい降りるに下りられずに、にゃんにゃんと助けを呼びます。

しかし、たまには飛び降りて足を引きずっています。

動物にも時間空間の認識はあるようです。

我々人間の先祖も

身の危険を避けるために判断力や想像力が磨かれました、

学習としての記憶が過去を思い起こさせ、

危険の予想が未来を創りました。

それらはエゴとして必要以上に洗練されたようです。

その結果が我々の見る今の世界となるのですね。


 

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プロフィール

ロックエヴァ

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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