観る

エゴが存在する理由は、基本的には、身体を守り、維持する目的である。

もっと観れば、大脳を維持するためのようだ。

自我の防衛システムである。

一方で、身体がなければ、学べない、動けない、出会いもない、・・・・・・

肥大化したエゴをできるだけ無力化すること。

エゴに閉じ込められていた意識を躍動させること。

エゴは観察されるのが一番苦手だという。

目の前に展開する日々の全ての中にそれがある。

目をそらさずに観る。



柚子

syuzu.jpg


4,5年前に植木市で衝動的に買い、畑の隅っこに植えていた柚子が

実をつけ始めた。

完全な無農薬、有機栽培である。

手入れもしない、肥料もやらないということ。

健気にも不ぞろいだけれど実をつけてくれた。

大根の酢漬けに、この柚子の皮を細かく刻んで、軽く添えるだけで

味が一段と引き締まり美味しくなる。

干し柿も準備しているから、来年始めには柿ゆべしができる。

いつものように里の秋は深まってゆく。



携帯電話

帰宅したら、玄関の前に厚手の茶色の紙袋が置いてあった。

無骨なひねりから、M君が来たことが分かった。

所用で家を空けた1時間の間に、来たのだろうね。

紙袋を開けると、オールドパー1本とオイルサーディン、

スモークドオイスターオイル漬けなどとともに、手帳を引きちぎった紙片に

「また会おう」とだけ記されたメモ。

彼は携帯電話を持たない、私も基本的には持ち歩かない。

縁があれば、どこにいても会えるから。

縁がなければ、側をすれ違っても気がつかないはず。

彼も私も待つことをしない、期待を持っての待ちは思考。

今度は、少しずれたのだね。

次回は7,8年後か。

M君はハーレーダヴィッドソン乗りの社会評論家だ。

この時期だもの南に向かったのだろうね。



怖れの形

エゴの背景には常に怖れの姿が見え隠れしている。

怖れとはどのようなものなのか。

普通は目をそらす、見ようとはしないが・・・。

死に対する怖れ

拒絶に対する怖れ

裏切に対する怖れ

放棄に対する怖れ

未知に対する怖れ

生存に関わる怖れ

これらは、誰にも共通する怖れである。

身体を持ってこの世にある限り決して消えはしないものだ。

それは受け入れるほかにはない。

この事を知った上で、永遠なる実在の方向を見ればよい。

それには少しトレーニングが必要だ。

怖れは膨大な意識から離れたと思ったときに生じるものだから。


体温

普通、体温は左腋の下で測ることが多い。

だが、何か不調和を感じたり、違和感が続くようであれば

左右の腋の下で測るとよい。

例えば左腋の下で36.6度、右腋の下が36.1度というように

左右が同じにならないことが多い。

左右の差が1度以上あれば、身体の深いところに問題を抱えていることが多い。

だが病院に行っても分かりにくいだろう。

こういうときには、エネルギー療法がよいと思う。

とくに左右の乳様突起に逆鍼療法をするとよい。

思いもよらないくらい身体が軽くなる。

さらに体温が脳幹で調整されていることも間接的に分かるというものだ。

なお、左右の温度差が0.3度以下であれば高熱であってもさほど心配はないが

温度差が1度以上あれば、平熱でも問題ありとみてよいだろう。

健康とは左右のバランスが全てでとれていることも重要な要素なのである。


非常に優れた芸術家は自分の属する文化圏外であっても、

その作品の素晴らしさを直ぐに見抜くことができるという。

たとえばアフリカの秀でた陶芸家が、ほとんど交流のない日本の茶道用の茶碗を見て、

一流品か、そうでないかをすぐに見分けられたと、との記事を読んだことがある。

絵画でも音楽でも建築でも同じらしい。

本当に素晴らしい作品は、刷り込みや思い込みをはるかに超えて、制限域を凌駕し

共通の普遍的な美しさを持っているらしいのだ。

また、優れた芸術家とはそのような眼を持った磨きぬかれた感性の持ち主なのだろう。

大脳皮質を越えて、言語などの介在なしに審美眼を同じくするということは、

われわれの歩き始めた世界に近いように思うのだ・・・・。




去年の9月30日の私のブログには次のような事を書いていた。

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山本一力さんの随筆集『男の背骨』の中に、

小林哲也さん(帝国ホテル社長)から教わったと言う言葉があった。

・・・・・・・・・・・・・・

「小才は、縁に出会って縁に気づかず。

中才は、縁に気づいて縁を生かせず。

大才は、袖振り合う縁も縁とする。」

・・・・・・・・・・・・・・

なかなか含蓄のある、心に残る言葉だ、至言と言っていいだろう。

才とは能力ではなく、その人の大きさだろうか。

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各地区の実習会がまもなく2回目を迎える。

多くの方との出会いがはじまった。

膨大な意識の意識に触れる機会がある。

大才に遭えるか。

もっとも、自分が大才でなければなりませぬ。


 

ほどほど

動物学者の池田清彦さんがある本の中で次のような事を言っておられました。

数年前読んだ記憶なので少し違うかもしれませんが・・・・

「ライオンは腹が減ったときだけしか狩をしません、そしてもともと狩が下手くそで

餌となる草食動物が絶滅しないようになっているのです。

もしライオンが狩の達人でゲーム感覚で狩を楽しむのであれば、たちまち餌としての

草食動物はいなくなります、自分たちも生きられなくなります。

だから程々がよいのです」

人間は長い営みの中で効率を追及してきました。

いわば正義そのものとしてしまいました。

程々と言う隙間を嫌い、遊びの余裕を捨てることが近代化の様に言われてきましたが

うまくゆくとは限りませんでした。

程々という適度なエゴの停滞状態は必要のようです。

つまり、エゴには決まった約束ごとはないということです。

社会や自分の中にある無数のエゴ一つ一つはバラバラで連帯感がないので

程ほどのところで静まるようにできているようなのです。

社会や自分を守るためにです。総体的には自己保身です。エゴの特性です。

ですが、たとえば金融資本などは、効率に目覚めゲーム感覚を憶えてしまったライオンのようにみえます。

危険です。



実習会

実習会では、例外なく参加された全員が、相手の方の身体の不調、つまり

痛み、重み、つっぱり、心の重さなどを軽くされました。、

軽い症状から、慢性化した重症の方も症状まで、

ほとんどトリートメント経験のない方がなしとげられました。

症状の取れた時間が1時間だけだったと言う人もありますし、

ほぼ完治したという人もあるようです。

ともにすごいことなのですよ。

この事実だけは忘れないでくださいね。



呼吸

呼吸をして地芯に下りる、そこから真っ直ぐに限りなく高く上る。

重力にそった糸の作る線に、こころが重なり、

脳幹を意識すれば

深いところから

ゆっくりと訳もなく嬉しさがこみ上げる。

瞑想などでは決して得られない感覚である。

熟成に至る期間はとても長いし、さらに延々と続くだろう。

だが、私の経験から言えば一番早く習得可能なトレーニングだといえる。


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プロフィール

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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