エゴ

エゴは消えません。

おそらく無が自らを思い巡らすときに生じたわずかの歪が、その根源だと思います。

そこに時間、空間、質量などが生まれました。

エゴの原型はもうこの時点で生じています。

従って恐怖も嫉妬も常に我々の中にあります。

消せないのです。

我々のできることは

それらに力を与えないことです。

浮かばないようにするだけです。

言葉や暗示や作ったイメージでは太刀打ちできません。

実は、驚くべきことに言葉や暗示や作られたイメージは恐怖側のツールなのです。

ですから

恐怖は(頭で知性で)理性では「克服」できないのです。

やっかいなのですね。

残された道は恐怖ではない方向を選択する。

言い換えれば○○の方向をむく。


仲間たちと

先日、数人集まって、響きを聞きながら水「脳幹」をゆっくりと飲み、

続いて、脳幹を意識しながら呼吸法をし、○○振りをしました。

その後お互いの感想を述べ合いました。

ある人が「脳幹と仙骨の距離がどんどん縮まって背骨が短く感じました」

と言いました。

ある人は「身体が溶けてゆく感じです」と言いました。

続いて、2回目をやりますと「脳幹と仙骨が重なったような感覚が一瞬生じました」

仲間でいっしょに練習すると思わぬ展開があるようです。

仲間との共有、共感の場はとても大切です。

明日は東京実習会です。




流れ

「一生懸命に生きているつもりです、

真面目さなら誰にも負けません、

努力もしています、

ですが一向に先が見えません、

自分の中には不安がつねに渦巻いています。

焦燥感が離れません。

周りには不満がいっぱいです、ちっとも変わりません。

満たされない日々が続きます。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

例えば、川の流れに逆らって一生懸命に泳いでも先には進めません。

無駄な努力です。

泳ぐ向きを「自分の頭で決める」からこうなります。

流されながら流れの向きに泳げばいいのです。

つまり思考をいったん止める、流れにまかせる。

流れに逆らうことを努力とは言わない、真面目とも言いません。

思考を止めることとは、判断しないことです。

頭で選り好みしない、自分にとって損か得かを考えない、

都合を考えない、・・・・・。

不安や焦燥感、不満、などは「頭で作った向き」に

大いなる流れに逆らって行こうとするから起きる心の警告です。

人生は苦しむものではなく、流れに気がつくことです。

流れは豊穣な海につながります。

後ろの意識、脳幹がキーワードです。



子供と親

先日、プロの療法家の集いがあって、子供のアレルギー、喘息が話題となった。

少子化で子供の数は減っているのに、アレルギーや喘息の子達はむしろ増えている。

どうしてだろうか。

具体的な対応もそれぞれの得意分野での成功例が報告されたが、

どの親子にも共通する点があるということで、意見が一致したものである。

子供たちのほとんどが、幼少時に食事が原因と見られるアレルギー症状を発し

かなり激しい嘔吐や発熱の経験があるということだった。

子供の素直な防御システムが、ストレートに反応しただけなのに、

そのときの親の受け止め方が問題を作っているのではないだろうかと・・。

特に母親が神経質で、父親さえも抑圧するような気の強さと不寛容な生き方がみられ、

その後の、子供の症状に怯え、子供以上に恐怖感が強いことだ。

その事を(やんわりと)指摘すると、拒絶反応を示しその後の治療に入らなくなることが多い、

・・・・など・・・・。

外に原因を見つけようと血眼になっても決して見えないんだけどね。

そして、子供以上に母親の心のケアが必要のようだということになった。

これは難しい。だから子供はいつまでも症状が出やすい。

悪循環はなかなか切れない。

もちろん例外はあるが、恵まれた国の、恵まれた時代の作った、

怖れが引き起こす病である、という締めくくりになったようだ。


言い訳

「努力」を回避し、スマートな泥臭くないやり方を求める社会的な風潮がある。

効率的で見栄えのよい即効的なやり方を探る人が多い。

近道や抜け道が大好きな人が多くなった。

そういう人には共通の癖がある。

地道な努力を嫌い、「言い訳」がとてもうまいことである。

「為すべきこと」から「責任逃れ」ができるからだ。

自分には非はない、原因は他にある、

親が悪い、周りが悪かった、チャンスに恵まれなかった、

などなど、言い訳は無数にある。

エゴの数だけの言い訳がある。

自分自身がエゴの虜になっていてそれに気がついていない。

だから、その人の周りには嫌な臭いがまとわりついている。

言い訳の多い人は人としての器が小さい。

風格がない、つまり魅力に欠ける。

そのコースをひた走りに走って可能性を自らせばめて行ったのだ。

ある経営のプロのお話の中に、

「成功者といわれる人は、愚痴やいい訳などがほとんどありません」

とあったが当然だろうな。

言い訳はエゴを肥大化させる。

生きにくい人生をみずからつくりだす。



変化?

おそらく30年ぶりにあった知人としばらく話をしたが、身体以外はまったく変わっていない。

歩き方、しぐさ、話し方、話の内容・・・・・・。

多少の世間知と身についた小賢しさらしきものがちらつくにしても、

人はこうも変わりにくいものなのか。

昨日も今日も同じことしか人はしていない、と師匠はいっておられる。

刷り込み、思い込みといった変更しにくいプログラムによる処理だけだから

本当の創造は生まれないのだろう。

だから、「どうしたら変えられるのか?」という問いの延長上には

不毛の日々しか見えないのだ。

問いそのものへの対応を規定のプログラムでやってしまうからだ。

これを、「物語を作る」という。

つまり方法論、技術論は思考の領域だから、矛盾してしまうのである。

物語を形成しないトレーニングがある。

私たちは水を飲み響きを聞く、意識を置き呼吸をする、

自然にわきあがるイメージを大切にして待つ。



越える

師匠の言葉「DNAの才を越えてこそ、生まれがいがあるというものだ。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大脳新皮質や大脳辺縁系はDNAをよく反映するように思える。

見えやすいからこそ、才となり、場合によってはDNAが呪縛となる。

われわれは本当の創造の領域に入る可能性を見出して、いま歩き始めた。

それは脳幹にある。未知の領域かもしれないが実感は確かだ。

DNAの桎梏を打ち破れるか。

この先にこそ、生まれがいがあるというものだ。

最近のつぶやきである。


観察

知らぬうちに自分も苦しみ,周りをも苦しめるもの。


私は善人なのだ、という思い込み。

いらぬ心配。

取り越し苦労。

浅知恵。

余計なおせっかい。

根底にあるのは、よく見られたいという損得勘定。

自己観察の不足である。



プレゼント

ゆったりと車を運転していたり、音楽を聞いているときや、

庭に出て陽を浴びているときに一瞬、

説明不可能な至福感につつまれるときがある。

無心になっているときのようだ。

求めてこの状態は来ない。

思いがけないプレゼントである。

だから、この状態を続けようと努力すれば風のように流れ去る。

遠くから流れてきたキンモクセイの香りに「おや」、と思ったら消えてしまった、

そのような状況ににている。

どうして?というような説明は不可能だ。

言語では表せない領域のようだし。

大脳新皮質の管轄外に豊かな次元を人は持っているのだろう。


好転反応(メンゲン)

エネルギー的に濃厚なフィールドに浸ったあと、身体などに起きる反応を

好転反応といいます。メンゲンともいいます。

普通は、気だるさ、眠気、軽い頭痛、吐き気、などが一時的に症状として出てきます。

例えば、先日の実習会では、4,5人に一人くらいの割合でにこの反応が出たようです。

大勢の人が集まった中ではエネルギー的な共鳴がおきて普通よりも強いフィールドが

形成されます。

その人の今までとおりの悪かった部分が通ります、

悪い習慣が修正の方向に正されます、

結果として痛みや重みを伴った反応が出ます。

辛く感じる方も多いようですが、続ければ解消してゆきます。

実習メニューはいろいろありましたが、メインは脳幹です。

いったんはじめた脳幹の基礎トレーニングですから、こつこつと続けて行きましょう。

もう、「脳幹」という言葉を聴いただけで身体に独特の感覚が湧き始めた人が何人も出てきました。

がんばってください。



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プロフィール

ロックエヴァ

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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