福の神

先月中旬原因不明の腹痛に苦しんだ。ともかく腹部が痛くて重い。

胃薬や消化剤などを飲んでみたが,いっこうに効かない。

とうとう食事が摂れなくなってしまった。

酒も止めてしまった。

1週間ほどはほとんど断食状態だった。

もちろん仕事は平常通り続け、大阪にも行った。

その後、知らぬ間に腹痛は治まり、体重が激減した。

そして、1月半が過ぎて食事内容が完全に変わり、小食になった。

結果マイナス8kgの減量に成功した。

今、体調はなかなかいい。

メタボだから減量せよ、と言われ続けたが聞き入れなかったな。

そして、あたかも強制する如く『こと』が起き、流されるように減量に成功した。

福の神は不都合な状況を伴って嫌な顔してやってくる。

幸運の女神はたいてい美女ではないことを知っておこう。



響き

我々の言う響きとは何か。

それは、われわれの問いへの答えだそうである。

言語ではないから、その微かな響きは聞こえはしないが感じるのである。

しかしなかなか気づきにくい。

気づこうとする努力そのものが響きを遠ざけるからである。

求めようとし得た答えは、エゴから出たものでありたくさんの制限がかかっている。

これを思考の産物と言う。感覚的な満足はあるから客観性があるなどという。

どこまでもエゴを隠そうとするエゴ。手の感覚などはおそらくこれだ。

身体感覚を重視すればここで足ふみとなる。

響きを聞いたつもりの感覚に囚われれば響きから遠のく。

もう一つ、高い意識からの答えは普遍性があり、静謐なものだ。

生かされている、喜びにつながるものだ。これを我々は響きという。

答えを選ぶのは個人の自由、選択肢は自分にある。

答えが違うように、各自の響きは違うのである。




今の苦労は

「今、苦しんで苦労して耐え忍べば、未来は必ず幸福になる」

と言うような言葉は、日常、よく使われる。

いかにも真実のように思える。

また、ずっとそのように言われて育ってきた人は多い。

本当だろうか。

簡単な事例だが、

机の上が散らかっているな、と気づいてすぐに片付けてすっきりさせる人は

このような言葉には囚われない。今が大切だから。

今にしか幸せがないことを知っているから、未来を思い煩うことはない。

机の上が散らかっているな、と思っても明日にでもやろう、と先送りする人は

この言葉に淡い期待をいだく。

今の心の状態で幸福になれるという保証はどこにもないことに気づかない。

今が幸せではないからだ。懈怠もまたエゴの一つの形だ。

目に見えるもっともらしい因果関係は、思考の作文。エゴのかかげる標語だ。


痛み

身体の痛みや、心の痛みが生じてしまったときどうするか。

ひとつの選択肢として、「痛み」をじっと味わう、ことである。

普通、人は痛みから逃げようとする、避けようとする。

あるいは、痛みを攻撃しようとする、抑えようとする。

それらを一切しないで、じっと味わう。

逃げない、抑えない、・・・・・。

いつしか痛みは消えてゆく。

我慢し難く、耐えられないような痛みは別だが、

じっと味わえるような痛みならば試してみたらよい。

すこしだけ何かが変わるきっかけにはなるだろう。

私がまだ小さいときに、第二次世界大戦中、ビルマ戦線で戦った

元陸軍兵士のおじさんから聞いた痛み対処の方法の一つである。

逃げ場所も無く、助けを求めることも叶わず、ただ時が過ぎるのを待つだけの

極限状況の中では、人は恐怖のその先にある独特の静謐を見るのかもしれない。

現代では、これが難しいのだ。

惨めさや、恥ずかしさや、悲しみなどの苦しみから逃げられるような立場に

あるということは、まだまだ恵まれているということ。


お絵かき療法

意識の世界のことを表すのに言語表現は不可能である。

もちろんのこと文章でも表せない。

だからこそ水をメディアとする保健水が必要なのだが、

それでも皆は説明を欲しがる傾向はある。

昨日、細胞は正しい位置、正しい働きを知っているので、

「思い出すように働きかける」と書いたが、実は正しくはない。

文章表現にしたとたん、思考の世界に入る。

まして「働きかける」と言う能動的表現は、完全に本質からはずれてしまっている。

何と書いたらよいのか,書きようがないのである。

すぐ説明したくなりエゴの陥穽にはまる、悪い癖だ。

治すのは膨大な意識、書くのは思考、なのである。次元が異なるのだ。

さて、5,6年前、面白い療法を発見した。『お絵かき療法』という。

きっかけは、自身の腰痛を治そうとして特殊な遠隔法の準備のために、

簡単な骨格図を見ながら、骨盤や仙骨、腰椎などを丁寧に画用紙に描いていた、

そのとき、腰のあたりがポッと温かくなり、おやおや・・・・・?

驚いたことに腰痛が和らぎ、数分後には痛みが消えてしまった。

痛みや重みを抑える、痛みから逃れようという気持ちは全くなく、無心になって

描いた結果が、腰痛の改善という思いがけないものだったのだ。

ではその後どうなったのか、2回3回とやるうちに、もう痛み軽減と言う目的が

心に生じてしまい、効果は薄らいでいったものだ。一種の刷り込みになってしまった。

思考で結果を求めてしまった。

ここに意識の世界の不思議さと難しさがある。

痛み重みから逃れる、抑制するという気持ちをいったん忘れ、

図を描くことができれば相応の結果が出るかもしれない。

先日、脊柱管狭窄症で脚の痺れや腰の痛みのある女性に、簡単な骨格図を描いてもらった。

やはり、その場で症状がほとんど軽減した。

自分の骨格を描くことは、自分の身体を意識すること、つまりは慈しむことにつながる。

とはいいながら、これだって解釈つまりは思考なのだが。

この人が鉛筆を握り絵を描く0.5秒前には、もう症状は改善されたのだから。

じゃ、描いた図は何なの?、 排気ガスみたいなものね。

じゃ、図を描いたのは誰?  結果を自分で描いたのね。描かせたのは意識。

あなたの役割は?  きっかけだが本当は何も無い。環境の要素かな。

フィールドの共有が前提が無ければ何のこっちゃ、となってしまう。



頚椎調整

手技だけで背骨屋頚椎の調整をするには、大変難しいです。

解剖学的な知識や、神経医学的な理論はもとより、

豊富な経験に裏つけられた技術が必要です。

結果を出すには、ベテランのみに許される、ベテランしか出来ない世界です。

手や指を置くポイントや圧力の強さ、向き、時間、など習熟にいたるまでには

相当な時間がいることは容易に想像できます。

先日13年続いている勉強会をしました。

われわれは意識とエネルギーの勉強をしていますが、

手技に関しては全くの素人です。

参加された皆さんは上記のようなプロでもベテランでもありませんが、

慢性的に首が傾いた人の頚椎を5分ほどで調整した人もいました。

原理は簡単です。

「身体を構成する組織、細胞一つ一つにいたるまで意識がある、

細胞それぞれが、正しい位置、正しい働き、などを知っており、

無心になって働きかければそれを思い出す」

たとえば第一頚椎の調整は、ボンの窪や乳様突起の斜め下に軽く中指を触れて

後はしばらく待つだけです。

それだけで腰痛や、鼻つまり、肩こり、ひざの痛みなどが軽くなりました。

首の傾きも修正できました。

いつも思うのですが、「肉体の症状は結果ではあるが、心の選択の練習には

これに代わる教材はない」ということです。




男たち

ある日曜日の夕方、M氏が居間でお気に入りのTV番組を見つつ、

片手の焼酎のお湯割をちびちびやりながら寛いでいたとき、

玄関でピンポンとチャイムがなった。

蒸し暑い日だったのでステテコ姿だったが、「ま、いいか」、で出てみた。

近所の美人の奥さんのTさんが片手に袋を提げて立っており、

「奥様はいらっしゃいますか」

やや慌て気味のM氏は、

「は・・・、少しお待ち下さい」と答えてから、

玄関から左折して居間に戻り、そこから右折してダイニングキッチンを通って、

そのさらに奥にある風呂場にゆき、

「お~いオカアサン、Tさんが来とるぞ~~~」

と入浴中のわが奥さんに声をかけた、

「わたしお風呂に入ってるのよ~~~,代わって出て・・」

再度玄関に戻ると、

Tさんが「ウチの主人が釣ってきた魚です、おすそわけ・・・・」

「そうですか、どうも、どうも・・・」と袋を受け取った、そして再度M氏は

袋を持ったまま、走って再び風呂場に向かう、M氏はヒグマのような体形の肥満体だ、

途中右折し損ねてテーブルに腰をぶつけて

「あいったっ、・・」、

風呂場にたどりついて、わが奥さんに向かって

「オカアサン、魚もらった、どうするの、これ・・」

「台所の流しにおいといてね・・・、もう上がるから・・」

再再度玄関に戻ったM氏は

「オカアサンはいま、パンツはいています・・・」

とあらぬことを口走ってしまった。

美人の近所の奥さんは、「くっくっく・・・・」と笑い転げたらしい。

M氏は間もなく60半ば、奥さんは12歳年下である。

M氏は、中規模の会社の専務だそうで、辣腕らしいとの評判だが、

不意をつかれると、男は弱い。

Tさんのご主人も、病院には一人では行けず必ず奥さんがお供するらしい。

たまたま、奥さんが外出して昼間いないときには、一人では食べられないで、

昼食の準備がしてあるにもかかわらずじっと待っていた、とのうわさがある。

男は存在自体が滑稽で憎めない、時もある、のです。




心配性2

昨日のブログに書いたSさんは、

カードナンバーの件ではほっと安堵をついたようだが、

これは、あくまでもエゴが満足しただけで、喜びにつながる訳ではない。

別のエゴに入れ変わっただけに過ぎない。

知識とはそういうものだ。

怖れ、不安というエゴの作る空隙をいくばくか補填する材料にはなった。

そういう意味で知識は力にはなる。

だから商品となり、ビジネスがうまれることもある。

そして供給する側、需要する側,人はどちらにもなる、なれる。

不安の除去商法は、医療や薬や、化粧品や、経済的法的な知識や、各種技術や、

生きがいの設定法から、魂の磨き方、死後の供養のあり方まで、なんでもあり、となる。

人は漠然とした不安を伴う怖れつまり、損失、喪失などから遠く離れた、と思うことで

ヒトマズ安心してしまうのだ。

だが根底には、常に喪失への怖れがあって知識や力は、その解決にはならない。

怖れからひとまず遠のいただけのかりそめの安堵感であり、魂の喜びではない。

といって、それらが悪いということではない。人間生活をおくるには必要なのだが、

人生がすべてそれだけ、といった刷り込みは修正したほうが良い。

このことを知った上での人生と、知らないままの人生では人生の意義が全く違う。




心配性

Sさんはかなりの心配性の人である。

心配の種を見つけては心配ごっこを繰り返し、日々が漠然とした不安に

覆われて人生を楽しめないようなタイプだ。

ある日、インターネットショッピングでクレジットカードを使って買い物をした。

そのとき、クレジットカードのナンバーを入力ミスしてしまったような気がして

心配でならない、そのミスが他の人のナンバーに合致してしまい、

その人に迷惑がかからないだろうか、・・・・・・。

朝から気になって気になって、というのである。

ふ~~~ん。

結論を言えば、まったく心配はない。

理由は2つ。

一つは、Sさんのような生真面目、慎重な人は何度もチェックしたと言うとおり、

先ず入力ミスはほぼない。あってもほぼ1000京分の一の確率。

二つ目、それが入力ミスかどうかを教えてくれるシステムがある。

カードナンバー16桁の数字はランダムに割り当てられているのではないのである。

4桁ずつ区切ってあり、4つの数列のグループに分けてある。

そのいずれかで入力ミスがあったとしても、

ミスがあったかどうかのチェックが出来るように「特別な数の配列」になっているのだ。

「Luhnのアルゴリズム」という判別法で自動的にミスかどうかが分かるように

数字が並んでおり、それをもとにコンピュータが瞬時に判断してくれるのだ。

原理は実に簡単な計算であるが、そういう仕掛けが根底にある。

だから入力ミスがあれば相手側から教えてくれることになっている。

さらに4つの数列で、それぞれに同時に入力ミスがある事はまずありえない。

何重にもチェック機能があるのである。

ということで、何の心配もないのである。

実は、私はこのことを知ってはいたが、果たしてそうなのかどうか、ある種のカードで

何度か実験したことがある、わざとミス入力すると、やはりその都度拒否された。

ようでけとる、と感心したことがある。

それを伝えるとSさんはやっと安心した顔になった。

だが、また、夕方には別の心配の種を見つけては不安モードの入るのだろうな。

おつかれさま。

Sさんは「慎重細心小心臆病生真面目罪悪感」のシステムをしっかりと内蔵している。

こういう人も、エゴに縛られた不自由な人、とわれわれは言う。


変わらないもの

24,5年使い込んだ壁掛け式の扇風機がとうとうおかしくなった。

出来る範囲で年一回の清掃、注油、をし、メンテナンスに努めてきたが

スイッチをいれても回転しにくくなったのだ。

羽根を指で弾いて回してやれば何とか回転するが、ここまでが限度だろう。

新しいものを家電量販店で購入した。

いくつかの気づきがある。

新しいものは重量が軽い。モーターの性能が向上している。

さらに、リモコンのコントローラがついており風速の切り替え、首振り切り替え、

が手元で可能、さらにタイマー機能まで付属する。

古いほうは、二倍くらい重く、リモコンはなく、記憶では値段は三倍以上もしたはずだ。

風速切り替えも、電気機械式からインバータ回路を組み込んだ電子回路方式になった。

半導体素子の急速な発達により、技術革新が扇風機にも及んできたのである。

そればかりではない、羽根の素材も、塗装の質も、すべてが、リニューアルされた。

消費電力も格段に改善された。すばらしいことである。

変わらないものが一つある、原理は電磁誘導の法則、さらにアラゴーの円板である。

アラゴーの円板とは、物理学者フランソワ・アラゴーが1824年に発見した、

磁石と金属板(銅、アルミ等)の間に起きる誘導電流現象である。

誘導モーターの原理は発見されてから190年近くも経つのである。

素材は変わり、回転管理ソフトは改良が重ねられたが、「古くて新しいもの」に過ぎない。

190年前といえば、日本では江戸時代だよ。ちょんまげの人たちがいて、篭に乗っていた。

坂本龍馬もまだ生まれてはいない。

現代のハイテク扇風機の基本構想はその頃にスタートしたのだね。

湯を沸かして、ノズルから蒸気を勢いよく羽根に吹きかけるタービンの原理はすでに

2000年前のギリシャ時代にあった。

それに誘導発電機の原理がおよそ200年前に確立した。結びついたのが火力発電だ。

火力に原子の火を使うのが原子力発電である。

まったく変わってないのは運用管理する人間のエゴの抑制が出来ていないこと。

消費する側も大して変わりはない。

夏、確かに技術で快適に過ごせるようになった。暑さのストレスを防ぐことは可能にはなった。

ところで、人類は全体的に本当に幸せになりつつあるのだろうか・・・・。

人類のお粗末な「心の運用」は果てしなく続くのだろうか。

選択肢を限定してしまった人類に未来はみえない。


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プロフィール

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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