霊の意

霊とは何だろう。これほど多岐な定義や解釈があるものも珍しい。

この字の原初の意味はどうなっているのか。

われわれが使う霊という字は簡略体である。

20年ほど前に、漢和辞典などで調べてみたことがある。

霊という字の正式な形は靈、

霝(雨冠の下に口の字が三個ならぶ、この字もレイと読む)の下に巫の字が来る。

先ず、霝は天から降ってくるの意、雨,よきもの。

そして靈の意は辞典によれば、天から降ってくる良きものを人が受けることから、

「たましい、心、精神、命、神、神秘な力、善、すぐれている事、幸福、慈愛、あきらか・・・」

などの意が続く。

WHO(世界保健機構)の1999年の総会における、健康の定義についての提案には、

『健康とは身体的・精神的・「霊的」・社会的に完全に良好な動的状態であり、

たんに病気あるいは虚弱でないことではない。』とある。

国際的にも、身体、精神(心)、霊は分けて考えられている。

もちろん文化背景によって概念は違うはずだが、身体、心、だけの範疇に入らないものの存在を

霊と呼ぶことは共通している。

霊の中に心や精神を入れるかどうかは文化の違いだろう。

日本でも、明治、大正時代までは人々は素直に霊の意味を受け取っていたようだが、

特に戦後、霊に対して偏った認識が広まってしまった。

本来、善なるもの、天からの頂き物なのに、まがまがしい衣を着せた社会通念を作り出した時代に責任がある。

私は個人的には、素直に霊とは、「いただいたよきもの」と思っている。

だから人として存在するのだ。

スピリチュアルな解釈は敢えてしない。

上記WHOの提案に対していくつかの国が反対したそうであるが、その中に日本がはいっていたそうである。


ひと

師匠の言葉から、

「人は完全なる霊的実在であって、

未だかってどんな不調和にも汚染されたことがない特殊な存在である」

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読むたびに、思い出すたびに生きる勇気が湧き上がってくる。

身も心もずたずたに引き裂かれ、汚されても、

激しい嫉妬に身を焼かれても

取り返しのつかない失敗に打ちのめされても、

地の底に隠れたいほどの罪悪感に苛まれても、

恨みの念にのみ込まれそうなおぞましさに震えても

立ち上がれないような失意、絶望のふちに立っていても、

身体に重症を患うことがあっても、

肉体にひどい損傷が生じても、

人を人たらしめる深奥の部分はどんなことがあっても

決して汚染されることはないのである。

常に純粋無垢な実在なのだ。

傷つくのは人に内在するエゴだけに過ぎない。

エゴは人そのものではないのだ。

だから自己観察が可能なのだし、いつだって再起が可能、

成長への道は決して閉ざされてはいないのだ。

取り返しのつかない過去は無い、チャンスはいつでもある、とはそういうことだと思う。



つつじ

s白いツツジ

今年も庭のつつじが咲いた。

特にこの純白のつつじが好きだ。何ともいえない白。

純潔、高い誇り、気高さを思わせるが、

花言葉は、愛の喜び、情熱、初恋、だという。

「つつじ」を漢字で書けば「躑躅」

なにやら、おどろおどろしい字画数である。とても憶えにくい。

日本国語大辞典によれば、

「つつじ」は「羊躑躅」とも書き、

羊がツツジの葉を食べるとその毒で膝つく(躑躅)の意から)「ひつじ」に掛かる序詞、

だそうである。

躑は、たたずむの意。躅は、該当する言葉がない。

とのことだ。

実際につつじの葉には毒があるといわれており、

小さい頃から口に入れるなと教わってきた。

ツツジと言う種は、動物たちから身を守る為にこの方法を選択したのだろう。

愛の喜び、情熱、初恋の裏には「毒」がある、確かにそうだ。

両面性の世界にいる限り、毒もまた真である。

s赤いツツジ

日本丸

s日本丸


帆船祭りの日本丸。

帆船は、風の力だけで走行する。

風上に進むのは苦手だがジグザグ走行により可能だ。

順風ならば、日本丸は20ノットの高速で走るという。

コンテナ船と同じくらいの速度である。

究極の自然エネルギーを使い燃料は帆走時は不要だ。

蒸気機関車と同じく力強くシンプルである。

動くメカニズムがむき出しでダイナミックだ。

こういうところが人を魅了して止まないのだろう。

新設計の帆船のタンカーが試験を終えている。

コンピュータ制御の近未来帆船が間もなく海に見られるようになるだろう。

風は良質のエネルギーなのである。

s日本丸、国旗



放射能と味噌

今朝の当地の新聞のコラム「健康歳時記」(丸山寛之、医学ジャーナリスト)から。

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チェルノブイリ原発事故の際、「ミソスープ」は放射能の害を防ぐと、世界中の

話題になった。後年,改訂新版が出た世界最大の辞典「オクスフォード英語辞典」にも

「miso」の項目が加えられた。編集の責任者は、新語を選ぶ際の基準として、

「新聞などのデータベースから、定着したと認められる単語のみを選択する」

と述べている。Misoは世界語になった。

みその放射線防御作用を動物実験で証明したのは、広島大学原爆放射能医学研究所だ。

それまでにも「みそ汁を食べると、原爆症の症状が改善される」といった話は

よく聞かれたが、実験的に確かめた研究は行なわれていなかった。

一例をあげると、核分裂中性子線という強力な放射線を、マウスに照射した実験では、

普通の餌を与えた群の肝臓ガンの発生率は62%,

みそ混合の餌を与えた群のそれは13%だった。

予断を許さぬ状況が続いている福島第一原発の放射能漏れについてだが、

現段階では健康被害が心配されるレベルでは、ない。専門家はそう明言しているのだが・・・・。

(以上)
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TVで、ある医学者が、「味噌なんてね、効くわけないでしょ・・・」とせせら笑って

おりましたが、この影響は大きい。偉い学者さんの言うことだからもう絶対正しい、

と善良な日本人は思い込んでしまったかもしれません。

何十万人の人が刷り込まれてしまったはず。罪作りな愚か者の学者たち・・・。

「想定外」を連発して逃げ腰の輩の言に従順に従った羊の群れの庶民よ、

今こそ、「一匹羊」になって、自らの判断で生き抜きましょう。

毎日、ワカメの入った味噌汁を飲みましょう。

(ワカメにはヨウ素が豊富に含まれている)

さらに、幸いなことに、われわれには、放射能防御関連の画像やシールが無償で提供されています。

こころの向きが正常な人が、淡々と使用すればそれでよいのです。

たとえ、終局が目前に迫っても、怖れよりは希望を選択できる、そういう生き方に心が

シフトできればよいですね。本当の意味の「自立」です。


レンゲソウ

sれんげそう2

レンゲソウの咲く田んぼは、何かとても懐かしい心の原風景だ。

今では、レンゲソウを咲かせる田はめっきり少なくなった。

半年も田を遊ばせるのが無駄と感じる農家も多い。

だから稲刈りが終わって田植えまでの間に、野菜等を作ったりする。

実は、田は休ませたほうがいい。

そのお休みの期間,田を彩ってくれるのがレンゲソウなのだ。

レンゲソウはマメ科の植物だから根の根粒バクテリアが空気中の窒素を固定してくれる。

花盛りの終わる頃,田にすき込まれて、稲の自然肥料となるのである。

ここは谷間にある盆地で水がきれいだ、しかもたっぷりのミネラルを含んでいる。

こういう田んぼの米は本来とても美味しいものだ。

実はこの写真の田は、「蓮華祭り」という地域おこしのイベントために演出されたもの。

レンゲの種を撒いて咲かせたようだ。

懐かしさをプロデュースしなければならない時代になってしまった。

sれんげそう1

封印

小学4年生の頃、目覚まし時計をバラバラに分解してしまった。

歯車やゼンマイの働きが不思議でならず、強烈な好奇心に逆らえなかったのだ。

完全にばらしてしまった後、いよいよ組み立てとなったとき、はたと気づいたのは

分解するのはいとも簡単、しかし組み立ては10歳の少年には無理、ほぼ不可能

ということだった。当時は目覚まし時計といえどそれなりに高価であったし、

親からこっぴどく叱られてしまったものだ。

歯車が入りきらず、何個か余ってしまった、ゼンマイは勢いよく伸びてしまって

終止がつかない。もちろん時計には戻らず、親も手に負えずじまいに終わった。

原子力の問題を思うときに、この日の事が思い浮かんでくる。

とんでもなく難しい箱を無理に開けてしまって、後始末ができないで、

泣きべそをかいている図だ。

原子の火の制御は人類にはまだ無理である。

技術的にはもちろん、半減期という壁、核処理技術の未完成、危機管理の未熟さ、

利権に群がるエゴ、運用する人間の心の未熟さ、おそまつな政治、非力無知な消費者

核への得体の知れない恐怖心、被曝医療のたよりなさ、

未完の部分の遠い未来への先送り、などあまりにも課題が大きすぎる。

エゴまみれの人間には手に負えないのだ。

当分の間、封印しておくべきだった。

さて、開けてしまった日本はどうなるのか。

完全収束には100年はかかるという、もつだろうか。

その前に、政治家と自称する輩の一部がすでに逃げ腰、

家族が国外に逃げ出したとも言う、お粗末極まりない終局がみえる。

ノブリス・オブリージュなんて言葉はもう日本では不要となってしまった。

エリートを標榜する者にはぜんぜん定着してなかったようだ。とくに連中には。

今夜の月は朧月だ、春の夜にふさわしく官能的で、物憂げな顔をしている。

時折吹き抜ける軽い風に名残の桜の花びらが舞う。

明日あたりが満月だろうか。

さて、「見ていないとき、月は存在するのか」という問いがある。

解答は、二つ。

一つは、量子と違って、月はとっても大きいから不確定性には影響されない。

だから存在する、という説、物理学者がよく言っている。

もう一つは、どうだろう?

説明しにくいが、存在しない。

実は見ていても、見ていなくてもわれわれの中には、絶対的な月はない。

月そのものを各人の脳の解釈で見させられているに過ぎない。

だから、感覚では存在するといっても間違いではないが。

科学者は法則に当てはめようとする、それが仕事だから。

我々は、ここから一歩飛翔する。

見る月が互いに違うのである。


選択

生存とは、DNAの呪縛そのもの。

生きる、とはDNAの呪縛から自由になること。

自我に翻弄される己は生存してるに過ぎない。

だから、岐路における選択だって、いずれ同じ道に戻ってるから、

悔やまなくてもいいのね。生存には本当の自由はないのさ。

「もしも・・・・だったら」、何て無意味なことさ。

選択したつもりが、行き着くところはところは、どっちも「怖れ」。

思考とは、生きることを否定することね。過激ではないよ。

生きるとは、創造だ。自立という。

DNAって不変じゃなかったの? それこそ思い込み、刷り込みというものさ。

可能性とは、囚われないことさ。


今日思ったことの断片でした。

デモね、文章にするってことはまだまだ縛られてるってこと。

表記することもまた、自我の働きだからね。

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師匠の言葉

『ほんとうに悲しむべきは「可能性ある自分」が「生存」だけで、まだ「生きて」いないことだよね。』

新動詞

【枝る(えだる)】:動詞 (1)極限まで睡眠を取らないこと。寝る間も惜しんで働くこと。

(2)上司に恵まれず必要以上の努力を強いられること。

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話を聞いて、さっそく検索したら12000000件も・・・・・。一千二百万件だ。

この危機的な国難の中にあって、民衆の何もできない自嘲を含んだ諦めと閉塞感、

シニカルだけが唯一の慰めとはむなしいものよのう。

とんでもない「上司」をリーダーに選んでしまった後悔のことばは、

巷にあふれかえっている。5月を待たずに崩壊か・・・。

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プロフィール

ロックエヴァ

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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