サッカー

サッカーは残念な結果に終わったが、日本チームの実力は以前に比べ

格段に高くなった。また、果敢に攻める姿は以前には見られなかったものだ。

がんばってくれたメンバーに心からの敬意を表したい。

サッカーがなぜ面白いのか。

コートの縦横の長さ、ゴールの大きさ、ボールの直径、重さ、選手の人数

種々のルールなどが、絶妙のバランスでアレンジされているからだ。

仮にボールの直径が5cm大きくなったら、小さくなったら、

あるいはゴールの幅が1m広くなったら、

選手の人数が15人になったら、

多分面白さが半減するどころか、サッカーそのものが消えるだろう。

サッカーは完成されたスポーツなのだ。

未完成な部分は100年以上の歴史の中で徐々に修正され調整されてきたからだ。

限られた精密に規定された条件の中で最高の身体能力や頭脳の力を発揮させる、

その面白さが、われわれの心を魅了する。

人はどこまで強くなれるのか、われわれに代わって選手がそれを見せてくれる。

確かにスポーツはエゴではある。エゴではあるが人生を楽しませてくれる。

それでよいのだ。

多分,観戦中は無我夢中で思考が飛んでしまった人も多いだろう。

一瞬ではあるが、明日の心配事を忘れさせられた方もあろう。

師匠にずっと以前「いよいよワールドカップですが、どのように観ればいいですか」

と質問したことがある。よくもこのようなことを聞いたものだが。

答えはシンプルだった。「楽しんで観ればいいのです」

有名なF氏が何年か前に、人類は新しい段階に入った、

人々の心から、争う気持ちや戦う気持ちが間もなく消滅する、

次のオリンピックはなくなるかもしれない、

少なくとも次の次くらいは消えるはず、

そして戦争もなくなる、と公言していたが、

精神世界の親玉は何も分かっていないようだ。

人の心の傾向が変わるのは、粘土細工のように簡単にはいきません。

自分がトレーニングしていて、気が遠くなりそうなときがあります。


おとな

食頑などを子供がお小遣いで少しずつ買って揃えてゆく楽しみに対し、

「大人買い」とは、それらを大量にまとめ買いすることをいう。

子供のころどうしても出来なかったことを、

ゆとりが出来た大人になって、さあ、やらかそうというものだ。

私もやってしまった。家内にはないしょである。

江戸川乱歩の「少年探偵」シリーズ全26巻 完結記念 箱入りセット。

アマゾンに注文したらすぐに来た。1日か2日に1冊ゆっくりと読んでいる。

昨日は「大金塊」だった。その前日は「妖怪博士」だった。

そして、今日は、「青銅の魔人」だ。

書き出しは次の通り、

「冬の夜、月のさえた晩、銀座通りに近い橋のたもとの交番に、一人の警官が

夜の見張についていました。一時をとっくに過ぎた真夜中です。・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

きらきら光ったレールのまんまん中を、一人の男が歩いてくるのです。

その男の歩きかたが,じつにへんなのです。・・・・・・

人間の足で歩くのではなく,機械でできた足で歩いているような感じです。

お巡りさんの聞いたのは、・・・・、ギリギリという,巨人の歯ぎしりのような

ぶきみな歯車の音でした。・・・・・・」

50年ほど昔東京はこんなものだったのか。

昭和30年代の「少年」という月刊雑誌に毎月連載された少年向けの探偵小説だが

発売日までの長かったこと。いつかまとめて読みたいと何度思ったことか。

それが叶ったのだ。単純に嬉しくてたまらない。

実は私のような人間が多いらしく、よく売れているらしい。

このセットは子供向けではなく大人向けなのである。

その証拠に、巻末には大人向けの本の紹介とその広告が並んでいる。

さて、今夜だけは、ワールドカップ、日本対パラグアイ戦を観る。

毎日がワクワク、はらはらである。


苦しみ

苦しみはどこから来るのだろうか。

膨大な意識から分かれて(ほんとうは分かれてはいない)

長い旅路をへて、時間、空間のある世界に下りてきた。

苦しみとは,この旅の出発点を忘れ,

膨大な意識へのアクセスの方法を忘れたことから来る。

魂の記憶として、われわれは知っているのだが・・・・・・。

一番初めに以上のようなことを習った。6年前である。

われわれの基礎トレーニングの主旨はすべて思い出すことであり、

アクセスすることである。

エゴとはこのようなことから遠ざけるように強く働く。

旅路の中で自分が作ってしまったものがエゴ。

帰還を妨げるもの。

エゴとは現状にしがみつかせる執着なのだ。

われわれはトレーニングにおいて「視床」を重要視する。

鍵はここにあるからだ。


不寛容な時代

先日郵便局本局に郵便物を送りに行った、その折のことである。

突然、激しく怒鳴る声が館内に響き渡った。

「いつまで、俺を待たせるのか~~~~、俺が先ではないか、

エ~~、いい加減にせい、上司は誰か、あ~~~、

民営化とはコウユウことか、ぬ~~~~~、」

見れば、中高年の男が若い女性局員に罵声をぶつけている。

貯金か保険のところらしい。キンキンした癇に障る声。

局員のわびる声が続く。たいしたことではない内容だ。

しかしどうして、こうも不寛容なのだろう。

身近にあるたいしたこともないような過ちに対して、

何でこれほどまでに執拗に、神経質になるのか。

この男のような人は、どこにもいる。

職場では奇妙に卑屈で、周りを気にする、

そして短気、刺激が閾値に達すると簡単に怒り出す、

しかし相手は自分より非力な位置にある人ばかり、

計算もちゃんとやっている。

日本人には、この傾向が強い人がとても多いらしい。

身近なものに不寛容、一方で社会の大きな問題には無関心、

部下の30秒の遅れを激しくなじり,ねちねちと30分も攻め続ける。

一方で、自分の会社の産廃処理の緊急事態の問題ではつねに先送り、

後から来た住民が悪い、(隣接の)団地にはそれを承知で来たのだろうが・・・。

などなど・・・。

このような傾向が最近あらゆるところで顕著になっているようだ。

社会全体が閉塞感におおわれている。

天変地異への恐れよりも、人の心が先に崩壊するのではないか。

分かち合う優しさ、協力して物事を育て創り上げてゆく、そんな大切なものが

人々の心から少しずつ削り取られていくような世の中だ。

わが心の鏡、自分は無関係だ、とは思わないほうがいい。

未来は一人一人の心の態度によって決まるのだ。




サッカー

きのうは早朝3時半に起床し、南アフリカからのサッカー中継を観戦した。

いうまでもなく、日本は強敵デンマークに3対1で勝った。

美しく有機的に自己組織化された日本チームはみごとな戦果をあげた。

一つの生命となったような輝きがあった。

その国独自のチームカラーがある。

ジャパンブルーは変化の色だ。

成長の色だ。

創造の色だ。

そして生まれ変わるための破壊の色でもある。

やっと日本チームは自らの青色を自分のものにした。

おめでとう。

早朝から一日中、日本は元気いっぱいだった。

今朝もまだ、新聞もTVも元気があふれている。

パラグアイには勝つ。



思い切る

いつか修理して使おうと思っている、古いレコードプレイヤーや

アンプ、スピーカー、電気スタンド、電気仕掛けの玩具、など

使えるけれど長いこと使っていないもの、中には何と脳波測定器や

各種バイオフィードバック装置まであるが、10年以上も使ったことはない。

思い切って捨てようと思ったが、これらがいつもためらわせる。

魅力はあるし結構高かったし、今でも使用可能だから。

エイやっと、捨てられたらどんなにかすっきりするだろうな。

実は、こんなに未練の残るものは、見るたびに、思い出すたびに、

こころに、自分の優柔不断さを刻印し続けているのである。

また過去へのアクセスを強引にさせているのだ。

また、大量のカラの空き箱などは、空間のエネルギー状態をゆがめているともいう。

博物館でもない限りガラクタに囲まれた状態は早く解消すべきだね。

思い切ってやるかい。

エゴはさっさと切り捨てる。



煩悩

煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)はすごい句だ。

非常に深い二つの言葉を「即」でつないである。

菩提とは智であり道であり覚である。叡智、真の道、覚醒である。

膨大な意識の意識である。

イマジンを学ぶ前は、煩悩がどうして菩提なのか、よく分からなかった。

「即」はこの場合、いいかえればとか、つまりとか、等しいという意味ではなく、

二つのものが互いに表裏の関係にあって分離できない状態をさす。

だから煩悩の真逆が菩提ということになる。

われわれは心の選択によってどちらの方向にも行けるようになっている。

しかし、エゴの強い粘性によって煩悩が限りなく肥大し、

まるで煩悩の海に浮かぶような状況にある。

溺れてしまって煩悩そのものの存在さえ気がつかないヒトがほとんどだろう。

煩悩を呼吸し、煩悩を食べ、煩悩の枕でお昼寝しているのだ。

心はもともと中立だが、未完成なままの脳の指令が強く、

煩悩の方向を選びがちなのである。

ヒトは煩悩大好きなのだ。煩悩が骨の髄までしみ込んでいるのだ。

だから、病気にもなり人間関係でも苦しむ。

苦しみながら、実はなにもわかってはいない。

自己観察を嫌う別のエゴが控えている。

嘆きのため息は深いが、吸い込むときはまたしても煩悩。

われわれのトレーニングは一日に数秒でもいいから真逆をむくこと。

だが「どうしたらいいの?」と聞くときにはすでに心は煩悩。


ピーマン

うちのすぐ脇の緩やかな坂道をしばらく登ってゆくと、

岡の中腹に市民農園があり季節ごとの野菜が見られる。

若い家族や老夫婦が時々訪れては畑の手入れに余念がない。

そして作物も、結構見事なものだ。

わずか3坪くらいの広さのようだけど、ちょうどよさそうである。

集中的に楽しみを持って管理し収穫を楽しめるし、

健康な余暇の過ごし方が出来てなによりだと思う。

ここに時々通う若い母子と家内が、通り道ゆえか、

ときどき軽いお話を交わすようになったようだ。

そして、ある日、うちの畑で取れました、と言って

緑色に輝く大きな品種のピーマンを数個もって来てくれた。

かいでみると、青い新鮮な季節の匂いがする。

丁寧に心を込めて作った思いが伝わってくる。

どうやら、この方はもともと無口な人のようで、

優しい微笑を残して帰っていった。

「ほのぼのとした気分だね」と家内と話したものだ。

実はうちの裏には一反ほどの畑があり、耕運機も草刈機もあるのだが、

私にはいささか広すぎて草ぼうぼうの耕作放棄地になってしまっている。

家内が「恥ずかしゅうはなかね?」という。

ほんとに、気恥ずかしい。

しかし、うちの隣家は全て専業農家だが、

全部が米を作ってるわけではないし、野菜は産直店で買うという家もある。

これを時代の流れというのだろうか。

楽しみや喜びを持って野菜つくりできる人は幸いである。

ささやかな収穫を微笑みとともに分かつ優しさ、

しばらく忘れていたな。



今日という日

精神世界系の人たちは、自分が、いわゆる善人であることをかたく信じている。

だから、自分の周りには何ら不都合な出来事は起きないことになっている。

常に、快適で居心地がよく、平和で穏やかで和やかであろうとする。

輝くばかりの健康でなければ気がすまない。

もし、これらに反するようなことが起きたらひとたまりもない。

心を閉ざしておきながら、開いているはず、になっており

赦す、といいながら、ゆるすことの意味さえも分かっていない、

全て表層の思考から作り上げた虚構だから脆いのだ。

なぜ脆いのかさえ分からない。

だから初めから泥水を飲んだり、腹をすかせることも多分しないだろう。

エゴを直視する覚悟がないから、人の心も判らない。

周りの事象は全てが自分の鏡だというのに、

世の人びとの演じる醜態は己の中にあることを知らない。

自分に突き刺さる視線の強さに思わずうろたえる。

眉をひそめ目をそむける事は簡単だけど、同時に学びもない。

そういう時代が私にはあった。

今だって、父母との和解さえ不完全なのだ、私の人生で間に合うのか。

人生の基点からくる呼びかけはいまだ聴こえない。

耳にではなく心に。



エゴイスト

先日読んだ、あるSF小説の中に次のような文章があった。

「恋と戦争においては、あらゆる戦術が許される」(フレッチャー)

確かに言い得て妙である。

恋はわが遺伝子を残すが第一義であり、

戦争は我が属する集団の遺伝子を残すを主目的とする。

遺伝子継承の戦術とはエゴの華、みごとに咲けばよろしい。

そして鮮やかに散る覚悟さえあればよい。

遺伝子の拘束から自由になることが

われわれの基礎トレーニングの根幹ではあるが

これだけは当分は承認しよう。

トレーニングも肉体なしでは出来ぬゆえ。



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プロフィール

ロックエヴァ

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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