闇、迷路

人生は闇の中を手探りで歩いているようなものだ。

人生とは、迷路を歩いているようなものだ。

一寸先さえも、見えない。

さらにまた、目的地さえも定かではない。

だから面白いのだ、という人もいる。

だから不安で怖いという人もいる。大半が後者だろう。

さて、

私たちは、何が来ても真正面で受け止める練習をしている。

逃げない。避けない。

これを、覚悟という。

心を開くともいう。

逃げたところで闇の中、迷路の中では結局同じことなのだ。

覚悟を決めれば、実は先が見えるようになる。

エゴの抑制という。

闇や迷路といった観念は、

実はエゴの作ったこわれものに過ぎなかったのである。

「眼を開く」、われわれはこの練習をさせていただいているのである。

道に迷ったら高いところに登って見渡すような練習だ。

山にこもったり、苦行をやっては決して得られないものだ。

瞑想でもない。脳トレでもない。

真逆なのだ。

自我をあけわたす練習といってもいい。

力を限りなく抜く練習といってもいい。

シンプルだが続けるには容易ではないが。

保健水を飲む、というのもこの系列につながっている。




日常

他人から否定されたくない、

人からよく思われたい、

一方で、人より一歩先を行きたい、

人よりも、力をつけたい、

人を思うようにコントロールしたい・・・・。

まさに煩悩の源である。

この状態を維持するだけのために,

人はエネルギーのほとんどを消費する。

言葉を変えれば、

現実を直視することから逃避することに全力を注いでいるだけのこと。

現実とは何か、目の前に展開されるあらゆる出来事、

ただし、出来事とはいえ自分の認めた、取捨選択したものだけなのだ。

現実とは、つまるところ自分が認め自分が通行許可を与えた、

自分の心の反映に過ぎないのだが。

客観的という言葉があるが、本当はない。

皆、主観を見て他人に同意を得たときに客観というに過ぎない、

欲、怒り、恐れ、不安などをそのように言う、

そのように見る、そのように感じる・・・。

現実とは一人相撲にへとへとになってるだけだと知ること。

新しい朝は、そのことを徹底して認めることから明けて来る。

たまには五月の空を見上げてごらん。



胡蝶

「ねこの子のくんづほぐれつ胡蝶かな」(其角)

子猫が数匹お互いに上下になってくんづほぐれつ戯れあってる、

その付近にひらひらと蝶が飛んできた、ちょうど今の季節ののどかな日の

様子を詠っている。

野生猫たまぞう君に家内が「子供を見せに連れてきてね」と話しかけた、

家内に言わせれば「うん」とうなずいたそうである。

そして翌日の夜、両親猫と子猫4匹がやってきた。

どこで生まれたのだろうか謎のままだ。

子猫は生後1月ほどか、まだ歩き方がおぼつかない。

家の周りは既に草丈が7,80cmにもなる雑草が茂り、隣の家との境界は

深い溝があって、親ならともかく子猫には渡れないはず。

人間風にいえば、親子の一団が密林を跋渉し、深い谷間を渡って

あるいは迂回して、冒険をしながらやってきたということか。

田舎ゆえ仮にとなりとはいえど50mは離れているのだ。

まして納屋や神社からは300mはあるだろう。

早速翌日の昼ころ庭でじゃれあう子猫たち、じっとみまもる母猫。

その上をひらひらとモンシロチョウが舞う。確かに絵になる光景だ。

疲れ果てた日々であっても、

子猫のあどけなさに、ふっと笑みが浮かべば、

モンシロチョウの舞で季節の移り変わりに思い至れば、

きっとあなたは大丈夫。





日常へ

簡単な所作なのに,○○結界をすると心が瞬時に変化する。

肉体を持てばこそ出来るトレーニングである。

私の場合は、瞬間、斜め上方後ろに意識がずれるような感じだ。

そして重力の拘束から万分の一秒ほど自由になる。

そのわずかの隙間に、流れ込んでくる無量の「もの」がある。

朝からすることが多いが、もう3年になるだろうか。

直後しばらく、高揚感が湧き上がる。

療法に入るときにも、未知なる状況に入るのも、困難が予想されることでも

もう怖れるものはない。

おそらく、判断が「別のもの」に置き換わるのだろう。

所作がシンプルで意識の変容が容易に出来るということは、

平凡な言葉だが、究極の流れを汲んでいるからだろう。

本物に触れたときに起きる透明純粋な喜びだ。

こういうものが、多くの人々の日常に自然な形で、

たとえばラジオ体操のように取り入れられる日が来ればいいなと思う。

もちろんこれ以前に相応の基礎トレーニングが必要ではあるが。

多分、今よりははるかに進化した社会が生まれるだろう。


5月の夜の影踏みのこと

今夜は満月に近い。

五月のこのころの夜風は肌にしみ込むような優しさがある。

子供たちは庭に出て空を見上げる。

夜空には、煌々と輝くまん丸の月がのぼっている。

午後9時前後では月は天頂よりも低いので月影が長い。

庭には、7,8人の子供たちが集まっており、

代わりばんこに鬼を決めて鬼ごっこをするのだが、

つかまえるかわりにその子の月の影を踏むのである。

ある子は、家や大木の影に逃げ込んで難を逃れる。

ある子は、庭の池に影が落ちるようにして立つ。

ある子は、背の高い子の影について回る。

そしてスカートを引っ張ったりしておねえちゃんを困らせる。

やがて、鬼が全員の影を踏んだらお仕舞いとなる。

月夜の晩に田舎の広い庭で繰りひろがれる子供の遊び。

歓声や笑い声、叫び声、ふざけあう甲高い声、

この夜だけは親は何とも言わない。

この時期は蛍も舞う。

影ふみを終わった子供たちは今度は蛍と戯れる。

川に落っこちる子も時々いるが滅多に怪我はしない。

手の中の蛍の独特の匂いをかいで家路に向かう。

不思議と外灯や家からもれ出る光の記憶がない。

かなり以前の話である。



保健水

本日から、保健水の販売を開始します。

半年以上の試用期間を経て、たくさんの方々に試用していただきました。

医学的、薬学的な根拠とはまったく「別のもの」ですが、

たくさんの方々からご好評をいただいております。

申し込みや説明はリンクの「保健水本舗」からお入りください。

大黒屋まいど会会長から寄せられた保健水についての読み物を下記に転載します。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

「保健水」などは、いわゆるエネルギー水の範疇に入るのでしょうが

個人がその意図をもって「封入」作業をしたものではありません。

つまり、封入者の条件だとか設定だとかプロセスだとか願いだとかによって、

「エネルギーが入った」ものではありません。

まいど会が、ただひたすらに「成長」を目指して「意識」というものを

みずからが「分かる」道筋の中で繰り返す技法の補助として、

提供されるものです。

これらの水をさまざまに使用することで、

さまざまな体験を得てきたというだけのことです。

まいど会の「水」も、どんどん変化しており、

これがそうだというような固定したものでも、

これが最適というものでもありません。

しかし、その都度、予想以上の体験があり、生活に役立ってきました。

このたび、これらのほんの一部を公開販売することになりました。

中身はただの水ではありますが、

工夫してお使いになることで体験を得ることができることでしょう。

またその体験を共有して楽しんでいただければ幸いです。


一目惚れ

アメリカでの最近の統計によれば、

「一目惚れして結婚したカップル」の離婚率は男性の場合20%、

女性の場合10%だそうです。

アメリカでは平均の離婚率が軽く50%を超えるそうですから、

それから見れば驚異的な数字だそうです。

以下延々とその理由が分析されていますが、そんなことはどうでもいい、

「(直観にしたがって)一目惚れして、幸せな結婚」

というコースは意識の働きで最良の選択をした人が多いということでしょうか。

心が幸せを選択した瞬間の結果なんだろうと思います。

理由付けなど意味がありません。

「訳も分からす、思いもかけない」思考判断の低下したときに、

すっとさりげなくエゴの厚い殻のスリットから忍び入る幸せ、・・・実にいいですね。

日本における「見合い」も一番最初が、思い出してみれば最良だそうです。

えり好みすれば結果として、貧乏くじを引くことが多いのです。

われわれは、現状を分析し、しっかりと判断して、

あらゆるメリットやリスクを考慮して

最良の結果を得られると信じてきましたし、

教育も環境もそれこそが唯一ベストの思考法だと教えてきました。

せっせとやってきてこの体たらくです。

いま、人類は決して幸せではありませんね。

愚かなことを分かってても繰り返してきました。

これからはさらに、ひどい選択を繰り返しそうです。


イマジンから

「どんな状況が訪れても、どうなれば一番いいか、などはエゴが決めることではないね」

「エゴが適切だと判断してもそれは意味がありません」



人との出会いも同じです。

損得勘定でのビジネス上の出会いは肩書きが消えると同時に

淡雪の如く消えてしまいます。

それを自分の器量だと錯覚していた人は多いよね。

「自分にとって最良の選択は結局分からない!」、って自覚し謙虚になることだよね。




奇妙な人々

以前、ある方々と交流を持ったことがある。

その中でも少し考えさせられた話の一つ。

原子力発電所から送られてくる電気は、

水力発電所や火力発電所から送られた電気に較べて、

身体に悪いのだという。波動が著しく低いそうだ。

だから、その人たちには体感として分かるのだという。

皮膚がざわざわするそうだ。

そして、天井の蛍光灯を指差して、

今日、今、来ている電気はクリーンだから大丈夫だとおっしゃる。

「う~~~~ん」と私は考え込んだ。

クリーンかどうかではなく、この方たちのオツムの中身に興味が湧いた。

狭い仲間内の創り上げられた価値観に占拠され、

いわゆる科学的根拠を見落とした歪な集団ではないだろうかと。

このグループでは電子レンジも悪魔の道具らしい。

で、私は意地悪く質問したものだ。

「手が冷たいとき、両手をこすり合わせるでしょう、

摩擦によって温かくなりますね」

皆さんは「はい」と素直に答える。

「電子レンジも原理は全く同じなんだけど・・・・、

ただ電子的に効率よくやってるだけですが・・・・・・」

皆さん「・・・・・・・・・・・」

精神世界をさ迷い歩く方たちの一団でした。


修正

常に自分は、話題のなかで中心になっていなければならない、

と思ってはいないだろうか。

何かあったら、自分は常に被害者だと思っていないだろうか。

人生の荒波に翻弄されている、という言葉を好んで使ってはいないか。

いつも人に振り回されてね、という言葉が出てないか。

気がつけば、いつも怒りっぽくイライラしてないか。

無意識にでも立場の弱い人を蔑視したり,脅かしたりしていないか。

外面はいかにも強そうに見えて、心が怖れを選択している兆候だ。

修正を要す。

といいながら、どうしようもなかったんだよね。

多分、分かってはいたのだね。

だからひたすら強くなろうとした、

不動心を養おうとした、

平常心が大切だと言い聞かせてきた。

たくさんのものを求めすぎてきた。

そしてずっと己の心の醜さを常に見てきた貴方、

強さを(求めることを)捨てよう。

もういいんじゃないの。

何十年も何にも変わらなかったんだから。


夫婦

今日は22日である。

暦に何か印刷してある。ようく見たら「夫婦の日」と書いてある。

22で夫婦か。

「夫婦とは」について、語るべき言葉が多いか、少ないか、

どちらでもよいのか、分からない。


師匠の言葉

「幸せな結婚って? お互い忘れることだよ。」


前線が近づき、外は雨風が激しくなった。今夜は豪雨の予想が出ている。

幸い我が家の「中」は今は穏やかである。

結婚してたことを忘れていた。



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プロフィール

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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