念仏

昼間から薄暗く日も入らない仏間で「南無阿弥陀仏」(まんまいだぶ)と唱えていた祖母であったが、

その意味するところは何も分からなかっただろうな。

もちろん原語はサンスクリット語である。

アミターユス、アミターバからきている言葉である。

アは否定の意味。ミタは量るの意味。ユスは時間、寿、だから無量寿

バは空間、光の意味だという、だから無量光

30年ほど前に事典で調べたものだ。

だから、南無は帰依しますの意味だから、

「なんまいだぶ」とは「無量の時間空間光に帰依します」、という意味になる。

さらに進めると、「無限の時空間、エネルギーよ、我とともにあれかし」となる。

「4次元に帰依します」でもよい。

われわれ流では『膨大な意識』となるが、

「なんまいだ」、ではまだ分離感があって不完全ではないだろうか。

すくなくとも私のうちの「南無法蓮華経」よりははるかに真実に近い。

完全なる他力本願は完全なる受動となりうるのか。


おばあちゃん

師匠の言葉

「苦しみは出来事から生まれたものではない。自分の中から生まれた。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さりげない文章だが、われわれの学びの全ては、ここを根幹があるといってもよいと思う。

田舎のおばあちゃんも同じことを言うておった。

日常の辛く厳しいしい農作業、

舅の厳しい目が光る毎日、そして長男の戦死、近所との土地争い、晩年には娘との断絶、・・・

度重なる苦悩の中で逃げ出しも出来ず、受け止めきった中で、気づいた真実の言葉、その意味。

80歳を前にして、『南無阿弥陀仏』を唱えながら静かに逝った祖母の顔には

穏やかな微笑さえあった、全てをゆだねきった静謐さがあった。

内なる「阿弥陀」に気づいたのだろうか。

われわれは、技法を通して穏やかに『内なる神』への気づきの機会を待っている、

どちらも選択可能なのだね。



ブリキの車

ブリキレーシングカー


好きで好きで、欲しくて欲しくてたまらないもの。

心から求めているもの。

人に自慢するわけでもなく、他との比較する気などサラサラない。

ただ眺めて嬉しくて、触って幸せで,思いではうるわしい。

手で押して、机の上を走らせてわくわくする。

本当に、そのようなものはその人にとって、エゴとは原則的に無縁らしい。

とうとう手に入れたブリキ製のレーシングカーだ。1934年のBMWらしい。

色は青、当時の青いペイントは技術上クリアではなくくすんだ青だった、

それを再現してあるのが嬉しい。

青は『変化』の色だ。

幸先がいいではないか。




力まない。

意識の世界では、力を求めないこと、力まないことが大切です。

筋肉に力が入ることはもちろん、考えることそのものが力なのです。

イメージを創り上げて浮かべないこと。

心の底から自然に浮かんだイメージを否定することはありません、そのままでいいのです。

求めて作り出したイメージは力です。

精神世界系の「出来るだけ鮮明な『成った』イメージをつくりましょう」はとんでもない誤りです。

一時的な成功があったように見えて、エゴ道をまっしぐら、なのです。

行く先はわかりますね。

手を当てるときは手、指の力を抜いてそっと、そっと、おきます。

そして相手を忘れ自分の中に響きを聞くのみです。

でも、練習の積み重ねは必要ですよ、

けっこう長い期間がかかります、シンプルではあるけれどね。

難しいけれど,そのつもりになることが大切です。

あらゆる人生のシーンでうまく行くコツは『力まない』ですね。私の経験則でもあります。

そして響きを聞く、ただこれだけです。

師匠の言葉 「求めるところを少なくすると、来るんだね」


受動

Lさん

心の置き所が、「自分の意思で、生きている」から、「大いなるものに、生かされている」、

に変われば人生は輝いてきます。能動と受動の違いこそが、

「エゴ」か「膨大な意識」への向きを峻別するものです。

端的にいえば、能動は『怖れ』と「その実現」へと進み、

受動は『幸福』と「至福」へと進みます。理由はもう分かるよね。

さて、受動に徹することこそが、求めても求め得なかった人類の課題でした。

「求めようとすること」がそのまま「受動の否定」ですからね。

このジレンマをどう解決してゆくのかがわれわれのテーマでもあるわけです。

なお、頭の良い人ほど、陥りやすい陥穽があります、知識の壷。土壷にはまる、です。

求めようとする姿勢です。どうしても任せておけないのです。

学校秀才が人生での幸せを必ず得るとはいえないのは頭の力と幸せは何ら関係がないからです。

幸せは、どのような人であろうと受動に徹した方には完璧に平等におとずれるものです。

人は傲慢です。

自分の力で生きていると思っています。

果たしてそうでしょうか。

例えば食事をして排泄されるまで、身体の中で食べたものにどのようなメカニズムが働き

どのような結果がもたらされたか一つ一つについて説明できるかどうか、

意識的な制御ができるかどうか、・・・・・・、よく考えれば99.999%はお任せモードなのですが、

気づいてさえいないのです。

思考が固定化され、本来しなやかで自在な心がブラックボックスに入れられてしまっているのです。

これは、健康問題や人間関係、経済などのこと全ての事象についていえますね。

肉体を持って生きている限り、時には能動的な思考も必要ですが、あまりにも偏りすぎてしまっています。

必要ならば、英単語を覚える能動的な『努力』はしなければなりません。

しかし、一方で、心臓の動きを刻々と調整し制御していますか、

身体各部からの無数の情報を総合し瞬時に判断して脈拍を決めていますか?・・・、

もう完全にお手上げです。思考(脳)にこのレベルの処理能力なんてありはしません。

それでも生きていますね。「生かされているから」です。

虚構の鎧を脱いで「身をなげだしてしまおうねモード」にそろそろ取り掛かりましょう。

きっと楽になります。少なくともかかわりのある事象の7,8割は任せましょう。

いまはね、自分で全て取り仕切ってると思いこみながら、

実はまかせる、受動を、みとめてないだけなのですね。

精神世界系の「ありがとうございます」を何千何万回というより、

受動に徹すればひとりでに深いところから感謝の気持ちが湧くはずです。

求めること、何かしようとすること、能動的とは、

膨大な意識を信頼してない証拠です。厳しいけれどね。



お部屋の浄化

4月は年度替りのあわただしい時期である。

それに伴い転勤や学生さんの一人住まいが始まる時期でもある。

よく相談を受けるのが、部屋の浄化である。

前に住んでいた人の「思い」が残っているので浄化したい、

どうしたらいいですか、との問い合わせが相次ぐ。

本来私は、セラピストだから畑違いなのだが、次のようにお答えしている。

以前にも書いた気がするけれど、

まず、全ての窓やドアを開けて風通しを良くする、日の光を入れる。

自分で徹底的に掃除する。スミからスミまで。掃除機かけ、水ぶき、

次、塩をまく、潮解現象が起きてべとつく前に、掃除機でさっさと吸い取る、

塩を吸い込んだ紙袋はすぐに処分する。

次,角角でフラッシュをたく。

ピカッと照らす。これでたいていはOKだ。

さらに、各部屋で「みちびらき」の画像を燃やす。

トイレにはさらに「きんかつかね」をはる。

これらは、以後は一月ごとに繰り返す。

さらに空間浄化を図るには、

よみがえり水と○○を半々に混ぜた水をスプレーする。

さらに徹底するには、「けっかい」用の画像をセットする。

あとは、日々心豊かに感謝して過ごしましょう。

学生ならばしっかりと勉強すること。


本当は方法論ではないのだけれども、

分からないからまず、形からということ。

心が少しでも膨大な意識の意識に素直になれば、

ことさら浄化など考えなくてもいいんだよ。もうなってるからね。




報道

民放のCM入りのTV番組でみた映画と正式の劇場又はDVD映画とでは、

同じものなのに何か様子が違う。

CMを入れたり、時間的な制約でかなりの部分をカットしてあるようだ。

途中が抜けて、説明不足から筋が分からなくなったりする。

名場面と思うところが抜けていたりする。

無料だから、仕方がないか。

よく考えれば、ニュースも特番もふくめ全ての放送が、

時間や立場や政治的な風土や力関係で大きな制限を受けている。

TVのフレームの内側以外は見えなくなっている。

友人の記者に問うたところ「当たり前じゃないか!!!!」であった。

「報道はな、各社で違って当たり前,揃い始めれば危険のはじまりよ!!!」

なるほどね。権力の分散の意味があったのか。

「だがな、日本の報道は全体的には決して公平ではないぞ・・・・」

「先進国と言われる中ではかなり遅れているさ・・・・」

「国民性なのか自立心が薄い、あなた任せの無責任、権利の義務のというけれど

底があまりにも薄い、とうとう市民意識が育たなかったな!!、俺も含めてだ」

見る番組は、わが心の選択であり、制限でもある。

だから、文句を言う筋はない。

知るべきは、人の心であり、わが心である。

だがな、NHK的人間と言われ続けたワシもそろそろ卒業するぜよ。



男の隠れ家

20年来の友人Yさんは、かっては外国航路の船員さんであった。

今は、陸にあがりレストランのオーナーである。

話題は豊富、手先は器用、好奇心あふれる子供のような人柄は、

大人の私でさえ会うとなればわくわくするものだ。

彼は自宅のほかに、半径1km以内に3つの「隠れ家」を持っている。

一つ目は、トレーラートラックの後部荷物室を改造し、窓やひさしをつけ、

開閉はドアに換え、エアコンや小さなキッチンもしつらえてある。

電気水道の工事はお手の物、TVもPCも完備、ベッドもある。

内部は実に快適、高級カーステレオを改造した音響装置からは、

彼の大好きなオールデイズが常時流れている。

備品などは全てもらったり、中古を買ったりしたものを改造しコストをかけてはいない。

私がたずねたときには、模型の蒸気機関や天体望遠鏡の手入れをしていた、

びっしりと並べた一つ一つを丁寧に分解し磨き上げる、光軸の調整など・・・・

何とも嬉しい光景を見た、実は私も彼の薫陶を受けている!!。

もう一つは200mほどはなれた空き地の中に、外洋の小型クルーザーを陸に上げて固定し、

はしごで上り下りするようになっている。

中には布団と簡単なオーディオ装置だけ、星空を眺めながら眠るのだそうである。

かなりのロマンチストぶりだ。なるほど、改造して布団に入っても空が見えるようにしてある。

月光浴もすばらしいらしい、一人でかい? ・・・・・((^┰^))ゞ テヘヘ

そして最後は、建築中の鉄筋コンクリート2階建て地下室付きというのがある。

全て彼の手作りである。奥さんの手を借りるときもあるらしいが基本的には自力だそうだ。

完成までにはしばらくかかるというが素人の手作りとは思えないほどの仕上がりぶりだ。

中国風の内装や、巨大な水槽が面白い、小さな水族館を作り子供と楽しみたいという。

地下室は、どうやらオーディオルームにするらしいが、秘密めいて稚気にあふれ楽しみだ。

彼によると、田舎だから土地は安い、ほとんどが改造品や手作りだからコストはかからない、

いざとなれば自分でやるさ、

毎日が忙しくて楽しくて5年後の予定表ももう埋まってるという。

料理の腕は超プロ、ハンバーグやシチューなどはこの街では最高との評判なので、

日によっては行列が出来るほどだ。

近々、バーボンを飲む約束をしてある。

私がつくるサーモンとイカのマリネが美味いそうだ。

彼からほめられれば、犬でも木に登る。至福の日が近い。




現実か

今朝は、朝から霧雨でしかも肌寒い日でした。

で、朝から盛大に「ハクション!!!」とやってしまいました。

そのとき、ふと思ったことがあります、この「事実」は結局のところ、どうなるのか?

確かに、「ハクション」の音は周囲の空気を振動させ疎密波となって空間に広がってゆく、

空気分子は周りの空気分子との衝突や摩擦によって、音や熱となり、

エネルギー交換され「ハクション」そのものは減衰して消えてしまうのだが・・・・・。

3次元的にはこれ以上の説明はないだろうな。

事実は消えたのか。空間に記憶が残るのか。分からない。

全てのさまざまな現象や事実には無数の側面や裏面があります。

われわれは事実、現象を見てせいぜい自分の内面に生じる感情の細波を見るだけで、

すぐに忘れてしまいますが、4次元的には、おきた衝撃は無限に広がってゆきます

(実はこの表現は3次元的で「広がる」や「伝わる」は、おかしなことになるのね、

空間や時間が認識できない世界だから。ま、いいか)。

たとえば2000年前の貴方が発した感情の波は実は、

今もひたひたと貴方に押し寄せています(時を越えて、ではないよ)。

それを記憶といいます。

その波に触れた何人かの人が貴方の家族や縁ある方というわけです。

自分という存在を簡単に考えてもかまわないけれど、深いんですね。

つまりは人は一つの宇宙といわれる所以はここにあります。

というようなことがフット浮かんできた。ほんとかいな?。

確かめようがない。最近、私の中にあるコマの重心と軸とがわずかにずれていて、

ぐらぐらとして回りにくい、そんな感覚が付きまとう。


Kさんはいつも刺激的な話題を持ってやってくる。

どうも私との会話を楽しみに来てるようだが、ありがたいことである。

Kさんが若いころは、ロシア文学を読むことが学生たちの教養の必修の時代だったという。

トルストイやツルゲーネフ、ドストエフスキー、チェーホフ、

などのロシアの黄金期を飾る有名な作家たちだ。

私自身はあまり記憶にはない。

太宰治や、江戸川乱歩、モーリス・ルブラン、コナン・ドイルといった大衆作家が好きであった。

つまり一般教養には少なからず遠い位置にいたようだ。さて、Kさんの話である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「人生は無意味な悪の連続である、これは疑う余地のない厳然たる事実だ。(トルストイ)」

世界的な文豪にして、このような言葉を吐かせる時代背景、ロシアという国、彼の育った環境、暗いなあ・・・・。

以下の・・・・・・・・の間の文はKさんのお薦めのネットからの引用です。

(ちょっとひといき、ためになるはなし)から

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ロシアの大文豪トルストイは、その著『懺悔』の中で、

「私はつねに人生の意義の探究に向かって突き進んだ」と書いています。

人はなぜ生きるのか。彼は、その解答を、それまでの人間の知識の中に求めました。

そしてあらゆる人間の知識は、2つに分けられる、というのです。

1つは実験科学、もう1つは哲学です。しかし、このいずれにも、人生の解答はなかったと記しています。

知識では解決できぬと知ったトルストイは、悲嘆の中から、

周囲の人々の生きざまを観察することで、人生の意義を見出そうとしました。

人々の生き方は、四通りでした。

第1は、無知無識の道。人生が無意味であることを知らない人たちです。

第2に快楽主義。人生に望みのないことを知りつつも、真実を直視せず、享楽にふけっている人々です。

第3は自殺。生が悪であり、無意味であることを知り、自分で自分を絶滅してしまうのです。

トルストイは、「強いしっかりした性格の少数の人が、こういう生き方をする」と言い、

彼自身もひきつけられましたが、彼にはまだ、そこに突入するまでの絶望感はありませんでした。

第4は、弱気の生き方。すべてを知りながら、自殺する力もなく、ぐずぐずと、ただ生きている人たちです。

「この生き方は、私にとって実にうとましかった。

しかも私は、こうした境地にとどまったのであった」理性ではどうあがいても、

生きる意義は見つかりませんでした。ついに彼は、信仰の道に入ってゆきます。

キリスト教――それは三位一体の神であり、6日間の創造、悪魔、天使であり、

彼のいう「気でも違わない間は、絶対排斥せざるを得ないような代物」でありました。

「私は理性にもとづく知識の道に、生の否定以外の何物をも見出し得ず、

また信仰の中からは、理性の否定以外の何物をも見出し得ないことを知った」

深刻な矛盾に苦しむトルストイは、82歳で世俗を一切断ち切って家出。

4日目、いなかの駅で肺炎で死亡しました。

理性を超えた真の宗教を知り得なかったことが、真摯な魂を悲劇に追いやったのでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

当時の若者たちはこのような作家を敬愛し自らもこのような生き方に心酔していたのだろうか。

危険な時代だったね。というよりずっとそうだったのだろう。

われわれは、トルストイよりもはるかに若くして、彼の苦悩を超える可能性がある場にいる。

縁があって何よりであった。

師匠があり、読み物が提供され、技法や画像がある、

この事実をもっと大切にしなければね。

Kさんは、われわれとすこしずつだが違和感がなくなりつつあるようだ。幸いあれ。



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プロフィール

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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