おひめさま

「今夜は、おひめさまにごちそうを差し上げようね」

「そうね、運動会も盛んになってるし・・・・」

という会話がごく自然に、お茶を飲みながら交わされる。

実は、この半年ねずみに悩まされており「ごちそう」とはねずみ対応の餌のことだ。

家内のふる里ではねずみに聞かれても分からないように、ねずみのことを「おひめさま」という

慣わしがある。運動会はもちろん天井裏で繰り広げられる。深夜に、しかも盛大に行われる。

できればわれわれは共存したいが、台所をはじめ全ての部屋に出没し始め、かじった木屑が

目立つようになった。

ねずみと人はDNAの相違は数パーセントしかないらしい。同じ哺乳類だし親しみを感じる。

少年時代は、ポケットにマウスを飼っていた。ポケットの底を食い破って背中で動き回る彼とは

数日間は親友であった。

さて、おひめさまは今夜はどう出てくるのか。

彼らには、たぶん思考や感情は少ないだろう、しかし数千万年を生き抜いた中で培われた本能は

ただものではない。

だから、悟られないようにさりげなくおひめさまと呼ぶのである。

ささやかな配慮なのだ。





師匠の言葉  「肉体は精神の象徴。」
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昭和50年代が始まるころ、まだダイエットという単語はあまり使われない時代だった。グルメブームも

まだ起きておらず、人々は比較的健康な食生活を営んでいた。この時代よりわずか20年ほど前は

国民全体がまだ飢餓から立ち直り始めたばかり、質よりも量が重要視された時代背景があり、

そのなごりが糸を引いていた。ある時、有名な宗教家の公演があるというのでそこに属する友人に

連れられて一緒に聞きに行った。内容はほとんど憶えていないが、一つだけは鮮明によみがえること

がある。「たらふく食べて、しかも痩せたいという人間が出はじめた、嘆かわしい、神も恐れぬ不届き

ものだ、人類の生きてきた苦難の戦いの歴史を汚すものだ、・・・・・・・」絶叫に近い咆哮にびっくりし

た、となりに座る小太りの信者である友人は、真っ青な顔で下を向いていた。

幸い私は当時はやせていた。しかし、その宗教家はどうみても小太りで絶叫するときに頬がプルプル

と揺れているのを確かに見てしまった。「ガンをはじめとする難病も、そして今の風俗の乱れようも、

全てがむさぼりの因縁から来るのだ~~~~~~」。それから10年後宗教家の奥様がガンで亡くな

られたと聞いた。宗教家といえどもなかなか思い通りにはならないらしい。

精神とは心の態度なのだろうか。身体もわが環境の一つで、わが心の投影されたものである。

つまりは、わが鏡にわが心の状態を観ていることになる。だから、身体の形状や状態、つまりは、

健康かどうか、体形は正常か、顔色はどうか、・・・・、を観ることでわが身を通して、わが心の状態

を、精神を垣間見ることができる。

そしてわが師匠のこの言葉「肉体は精神の象徴」。すばり、これは厳しい警告だ。

私自身標準体重よりも20kgはオーバーしているし、ウエストにいたっては測ることさえ恐ろしくて断り

続けている。確かに自己責任だ。ただ、言い訳になるが、あらゆる検査では毎回、すべて正常、

全く異常なしと出る。あまりの完璧さに医師は呆然、私は唖然、とする。となれば、このままでもよい

のか。友人からうまい酒とたくさんの牡蠣をもらった。悩みは深くなるばかりだ。





見切る

Kさんへ

見切る時間を作って[見切り]の練習をする、なんてことはしてませんよね。

見切るとき、チャンスがめぐってきた時にしか出来ません。

つまり「今日も困ってみましょう」なのです。

困らない限り、「見切る」ことさえ出来ません。

ありがたいことです。

エゴが抑制されます。よい機会です。

トレーニングは日常の中に自然に溶け込まなければ何にもなりません。

仕事中、地芯やコンセント、チューニングをやり全体で感じることは日常的にします。

でもね、何か余計なことにとらわれると、忘れることもある、思考は実にやっかいです。

知らず、邪魔をします。エゴはすぐそばにいますね。

不思議なことに、トレーニングをしようと思わなくてもやってるときがある、

こういうときは何事もうまくゆきます。



ある日

いすにやや深く腰掛けて、肩の力を抜く、腕や脚の力を抜く。

吐く息を長く、ゆったりと呼吸する。

全体を感じるようにする。

真我の奥に意識を置いて、

響きを聞くつもりになる。

ふつう私は目は閉じないほうが多い。

身体全体の細胞がいっせいに囁いてくるようだ。

温かさや柔らかな波が次々と押し寄せてくる。

波にまかせゆっくりと揺れる。

咲き始めた山茶花の花の開く音が聴こえるような気にさえなる。

微かな風に蜘蛛の巣のゆれる音さえ聴こえるようだ。

足元に夜空が見えることもある。

感覚は皮膚の外には出てはいない。

「存在」とは感じさせられるもののようだ。

と同時に内外の区別があいまいになることのようだ。



平和

平和はなぜ壊れやすいのか、

平和を望んでいないからだ。もともと脆弱なのだ。作り物だから。

心の奥深くに平和ではなく憎しみや怒りがあるからだ。

平和には2種類がある。

一つは心が本当に平和を選択したとき。目の前には平和な世の中を見るだろうな。遠い夢だ。

そうしてしまったのは人類の自己責任。

もう一つは思考で作り上げた平和という観念的な状況、状態、だから心の奥底を見れば恐れが激しく

渦を巻いている。世の平和運動が成功しないのはここにある。だから、目に映る映像は争いばかり。

思考で創ったものはみな壊れやすい、家も車もテレビも、家計も、愛情も、そして宇宙も・・・・・・・。

壊れるということは、均質化に向かうこと。当たり前ではないか。


内圧

師匠の言葉
 
「苦しいという思いは、たましいが遺伝子に打ち勝つ方法を提供しているんだね。でも、たいていは遺伝子に負けちゃう。」

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最近、自分を厳しく制限し身動きを許さない枠をはずそうともがいている己を観る。

これは何なのか。

時には、わけもなく暴発しそうなまでに内圧は高くなる。

基礎トレーニングを重ねてきたが、この激しい苛立ちはどこから来るのか。

多分、自己設定した『限界』を破ろうとしているのだろう、今まで知識では知っていたが具体的に、

ここ最近特によく見える、ちらりと見えたその正体は無数の「刷り込み」だ。

概念的な存在ではなくリアルに見える。布のように広さがあり、極めて薄く、粘性があり

何かをしようとすれば、さっと纏わりつき、しかるべき方向だけにしか動けない。時には動けない。

この強固な原因は肉体の根幹をなす遺伝子に支えられているからだろう。これは実に良く分かる。

だが幸いにも、これは「自分の本質ではない」ということを知っている。

遺伝子や刷り込みが本質であってたまるものか。

そして「本質は無傷だ」という確信はある。

これこそはわが勉強会で学んだ大切なものの一つで拠り所でもある。

だが、刷り込みにより自動操縦されている「ふがいない己」を観るもう一人の自分との葛藤がつづい

ている。

変革のレシピを受け入れて修正をしようとする一方で、従来型の回避スタイルが迫る。

 経験しなければ、想像も出来ないような、説明のつかないような、新しい変革を受け入れる準備が

始まっているという予感があるのに、私が経験するのを許可しようとしない。

どうするか、唯一の方法は、一般的な言葉では潜在意識のクリーニングなのだが世にあるたくさんの

やり方が可能ならば、人はこれほどまでに苦しみはしない筈だ。

師匠からいくつも技法を習ってきた。まもなく変革が始まりそうな気がする。

たとえば「小脳」と「前頭葉」にある方法でブリッジをかける確実なやり方もある。

最近、あらためてその重要性に気がついた。最新の脳科学さえ色あせるだろうよ。







本気かな

 昨日は陸海空自衛隊の記念日だったので、近くにある陸上自衛隊の駐屯地に出かけた。

記念式典として各界からの公式の挨拶、各隊の閲兵行進、そして模擬戦闘と続く。

私は国防を担う若者たちに敬意を表するために、この数年、参列させてもらっている。

参列者のほとんどはOBや若き隊員の両親や家族らしい、しかも例年少しずつ少なくなっている気が

する。

 模擬戦は圧巻である。偵察ヘリコプターが上空を低空でまわる、オートバイの偵察隊、装輪装甲車

が偵察、敵の威嚇射撃に対して機関砲を発射、発炎筒が炊かれ盛大に煙が上がる、戦車が侵入し

砲弾(空砲)を発射、榴弾砲や迫撃砲が火を噴く、レンジャー隊員が7階のビル屋上から、ロープだけ

で駆け下りてくる。大変な練習だっただろう。2,3秒で地面に降り立つ。約30分で終了だった。

時並行で駐屯地の周りを、自衛隊の模擬戦反対のデモ隊が通る、砲弾の音が途切れたときに、

シュプレヒコールが聞こえて来る。こちらは、数は少ない。2,30人だろうか。

他の人たちはヒトゴトのように知らん顔して気まぐれな口をたたいて何十年だろうか。

国防については意見はさまざまあったほうがよい。

ただし、真剣に考えておきたい。国家の戦略、戦術、用兵思想、軍需産業、教育、シビリアンコントロ

ールや指揮系統、憲法との整合性の問題など、国防の全ての体系は思考と感情の半世紀にわたる

積み重ねだ、妥協の産物だ、主義、思想(エゴ)のすり合わせだ。

一方で武装なき平和維持を幻想に近い思考と感情(これもエゴ)で保てるものかどうか、

本気にやれば軍を持つよりも厳しいぞ。どちらにせよ人任せの考えや意見なんて無責任きわまるぞ。

我々は、膨大な意識の方向に向かうよう努力しながら、一方ではエゴの熱い海(恐怖の海)に漂って

いることをもっと明快に認識したほうがよい。人類全ての心が本当に膨大な意識を選択するようにな

るにはあと少なくとも5000年かかるらしい。それまではいろいろあってよいのだ。

あどけなさの残る若き隊員たちの顔が我が子と重なった。

釈迦は武道の達人だったそうだ。

言葉

Kさんへ

*心を滅ぼし,心を育てよ。(鈴木正三)  という言葉についての私からの答えです。
 
 よくお話していますが、もうお分かりだと思います。

私たち流にいえば、エゴを抑制し、膨大な意識の方向に向くようにする、ということです。

心の状態は2つあります。恐れと意識、どちらを選ぶも自由です。

でも人は恐れを選びがちです、なぜなら楽だから。努力しなくていいもんね。

いつだったか、「えっ」 といいましたね。

心を意識に保つ練習をこつこつとやり続けることは楽ではありません。

努力が悪という刷り込みをせっせと受けたあなたには、

何となく違和感や反発を感じるでしょう。

「何でもあり」、が口癖でしたね。そして、「そのままでいいんだよ」、とも言ってましたね。

で、あなたは変わりましたか。

自分がほんとうに輝くまでは、しばらくこの言葉はしまっておきましょう。




言葉遊び

 「永遠の生命」などという言葉に強く引かれてきた。だからそこから「明るい未来」、「輝かしい朝」、

などの言葉がつぎつぎに浮かんでくる。

同じく、ロックやフォークソングや歌謡曲も実によくできている。

一時的に心は和むような気がする、感動をありがとう、などの言葉も生まれる、時には、感涙さえ

も伴う・・・・・・・しかしホントか。どうも、思考のお遊びであり、感情の変化の過程での誤謬にすぎ

ず、蓄積される我が記憶に実体はなさそうだ。なぜならば、わが見る景色に結果としてほとんど

何の変化もないからだ。今日も昨日と同じようにしか見えない。

本を読み、あるいは、映画を見て感動した、それで人生が本質的に変わることがあるのか。

感動はあるだろう、知識は増えるだろう、一時的な言動にも変化はあろう、

しかし本当に本質的な成長につながるだろうか。・・・・・・・。

表層で気づく、気づかないは別として「変化した人」は多分、映画でなくても、空を流れる雲を見ても、

朝日の上るのを見ても、あるいは「天才バガボン」を見ても、いやいや、見なくても、時が満ちて変革を

迫る出来事を受け入る準備が出来ていればこそ、変わるのだと思う。

そのときにこそ、言葉が生きてくるのだ。言葉を通して心が輝くのだ。

心が思考でいっぱいのとき、言葉は記号以上の意味は無い。

どうしても我々は、どこかに寄りかかろうとする、たとえ記号であっても、何かと意味付けをしなければ

気が済まぬ。何かあれば内にではなく外に知識を買いに走る癖がある。

エゴの思う壺なのにやってしまう。

言葉遊びについつい陥る日、そろそろさらばじゃ。

アンチエイジング

 健康産業のキーワードの一つがアンチエイジング(老化を遅らせること。)だそうである。

身体の若さを保ち、いかに若く健康に『見せる』か。そのためには大金を使ってでも試みたいという

人々と、それが可能だ、としてビジネスチャンスと捉える人々が出会い、一大市場を作り始めているら

しい。高齢化社会の一現象にとどまらず,さまざまな分野に大きな流れを形成し始めている。

エイジング(加齢、老化)とは、医学的、生理学的な見地から見れば、新陳代謝の低下、活性酸素に

よる細胞などの劣化、新陳代謝の際のDNAのコピーエラー、細胞分裂の限界を超える、意図的な細

胞死、などによるものと考えられている。こういう専門の分野については医学分野の研究者や化粧品

メーカー、サプリメントの製造業者などが、ほっておいてもやってくれるし、ほかならぬ若返りを切望す

る人が激しく追い込みをかけるだろう。

我々は、どうみるか。根幹には、自分の老化を恐れるものは、目の前に老化が早々と現出する、

つまりは若さから遠ざかるリアルな姿を見なければならない、ということになる。心の選択の問題だ。

心に若さを肯定するだけの「態度」が必要だ。これは個々の課題である。

同時に、細胞の浄化が大切である。

具体的には、我々はどうするか。

師匠から提供された保健水がある。症状の改善もたくさん報告されているが、

*肌がきれいになってしっとりとしてきた。髪の毛が黒くなった、人がそういう。60代女

*恋人が出来たのですか?、とってもきれいになったね、といわれた。40代女

*はげ頭に10年ぶりくらいに毛が復活し始めた。1年後にはドライヤーだ。(?) 50代男

*シミしわがほとんど目立たなくなってきた。うれしい。50代女

*体力がよみがえった気がする。40代男

*久しぶりに会うと、若返ってるね、と友人から言われ気分がいい。60代男

モニターが体験中だ。画像もある。いずれは公開されるだろう。



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プロフィール

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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