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あき

立冬はとっくに過ぎましたが、晩秋という季節名がこころに響きます。

「あき」の語源は諸説あるそうですが、

果実や葉が赤く染まることから来た説が有力だそうです。

柿はやがて熟柿となって真っ赤になり、

南天の実はすでに赤く、緑の葉に囲まれて一層鮮やかです。

四季のある日本に生まれてよかったですね。

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ある連続ドラマへの疑問

先日、NHKで放送された朝の連続ドラマ「まんぷく」を観て

違和感や不信感などを感じられた方があると思います。

主人公の夫、萬平さんが電柱から「無断」で電気を自宅に引き込み、

その行為の違法性を気にしながらも電灯がともって明るいとはしゃぐ主人公や母親、

当時の電力事情は送電技術や素材、発電所の容量が不足し、

しばしば停電が起きるなど、

現代とは比較にならないほど不安定でした。

そこに無断で(無資格?)の電気工事をするなどは明らかに犯罪行為です。

もちろん電力はモノではありませんから、

当時の法律では窃盗になったかどうかは分かりませんが、

赦されるものではありません。(現在は窃盗犯となります)

さらに、川に電線を引き込み感電させて大量の魚を捕ってしまう・・・。

これは、昭和20年~30年代に川でよくおこなわれた「うしろめたい」漁法です。

当時は、バッテリーも使うことも多かったようです。

(時にはトリカブトなどの毒物も使いました。)

小さな川に電気を流し一網打尽に魚を捕る・・・・。

発想は効率至上主義の原点です。利己主義です。

危険この上ない行為です、しかも子供たちが側にいました。

30年代初めのころ、幼かった私は祖父に連れられて、

そのような犯罪漁法の後を観たことがあります。

夜に行われたらしく、集め損ねた沢山の死んだ魚が腹を見せて浮かんでいました。

祖父の顔が曇り、やがて怒りに変わってゆきました。

魚だけではなく,稚魚、川エビや水生生物はもっと被害を受けたはずです。

小さい川ゆえに回復にはかなりの時間が必要でした。環境破壊につながる行いです。

小さな川に電気を流し、根こそぎに魚をさらう、

その発想は素朴ないたずらの範囲を超えています。

萬平はそのことに気づかず、町内会の役員さんが来て注意を促しても

なかなか謝ろうとしませんでした。

この人物はその時点で失格です。

「世のため、人のため・・・」が口癖のようですが・・・・。

現実にはどうだったのでしょう。

NHKの脚本家やプロデューサーはよくわかっていないようです。

萬平さんの若いころの無邪気なエピソード?としたかったのでしょうか。

無神経すぎると感じたのは私だけではないでしょう。

時代背景を調べもせず、

公共のメディアが世間に及ぼす影響を

一顧だに出来ない関係者がいまだにいることは残念です。



エゴ

先日の続きです。

サツマイモを植えるには、「いもさし」という植栽法をします。

種芋から生まれた沢山の蔓を適当な長さに切り取って、畑に作った畝に

埋め込んでゆきます。適当な養分と水分さえあれば自然と根付き、

やがて地下にはイモが育って行きます。

同じことはマルバルコウでも言えます。

マルバルコウは、サツマイモ属ですから、

蔓を刈り取って地面に投げ捨てておいても

その蔓から根を出し、増えてゆきます。

栽培種ではないので、土さえもほとんど要らないのです。

野生原種のしぶとさです。

タフでしたたかで煮ても焼いても生き残ろうとする意志は見事です。

戦う人間側には徒労感が伴います。

私はそこに、湧き上がるエゴと同じものを観させられて、

一種の無力感に陥るのです。


一旦、心の底に根付いたエゴは、刈っても刈っても根絶やしにはできません。

エゴはずっと以前に粒子である、と書いた記憶があります。

粒子ですから、分布に濃淡があり、またエネルギー量も様々です。

エゴは全身に広く分布しており、流れがあります。

流れる時に「一仕事」します。

人は、そのエゴの仕業に苦しみます。

この時に、意識さえ向けなければ、粒子化しません。

囚われなければいいのです。

もちろん、我々にはその実践法があります。





可憐な花だけど

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可憐な花が目を引きます。

マルバルコウという植物です。

夏の終わりころから秋にかけて花を咲かせます。

最近は、荒地、耕地、庭先、どこにでも見られる蔓性の「雑草」です。

江戸時代に観賞用として日本にやって来たそうですが、

やがて、その逞しい繁殖力で、次第に全国に繁茂してゆきました。

とくにこの2,30年の気温上昇化傾向の波に乗り、目立つようになりました。

熱帯アメリカ産の多年草というだけのことはあります。

ヒルガオ科のサツマイモ属だそうで、一旦、居座られると

茎を抜いても焼いても次の年には顔を見せます。

地下茎がイモ状で、これを掘り繰り返し、焼いて砕いて磨り潰すくらいにまで

しなければ、絶やせません。

庭や耕地に絶対に入れてはなりません。

気ついた時には、庭の植木は蔓に纏われ衰弱してゆきます。

モノには必ず両面がありますが、

農民や園芸家にとってはやっかいな訪問者です。

可憐さに騙され、気づけば、居座られ。

今日も昼過ぎから、「引っこ抜きのイタチごっこ」をしなければなりません。



お彼岸

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間もなく秋分の日、お彼岸です。

お墓参りや、家族そろっての会食もいいものです。

ご先祖様を偲び、家族相和す、それだけでも立派な先祖供養です。

あるご家族の話です。

兄と弟は、学校卒業後は仕事の関係で遠く離れて暮らしていました。

ともに定年退職後数年、親族の法事がきっかけで7年ぶりの再会でした。

疎遠だったのではないのですが、時間の経過は長すぎました、

共に無口な兄弟にあっては話題はやや途切れそうになります。

そのうちにご先祖の話題になり、話しているうちに先祖探しをして、

我が家のルーツを調べよう、となったのです。

幸い弟は本籍地のある地元なので、市役所などで明治まで遡る謄本などを集める、

それ以前については、お寺に残る過去帳や郷土史をあたる。

兄は、得意のPCを駆使して、ネットで情報を探り、江戸時代中期ころに

先祖の居た□□地方の調査をし、また専門家に相談して助言を受けながら

系図をつくる・・・。

そして、ある程度まとまった時点で、遠い□□の地方に兄弟で調査旅行し、

○○家発祥の地らしきところで一族の源流となった家を訪ね当てた・・・。

1年ほどはかかったそうですが、まずまずの系図が出来たそうです。

幼いころの屈託のない兄弟仲が自然と復活しただけでなく、

連綿と続く血縁の流れの中に見つかった数々のエピソード、遠い先祖の

苦難の歴史などに触れ、自分たちは膨大な時間ネットワークの中で生かされてきた、

そのような中で感謝が徐々に湧き上がり、出会った感動は一生の宝物となったそうです。

その後、兄弟と家族にとって嬉しいことがよくおきるようになったそうです。

「先祖を意識する」ことによって遠い絆がもたらした今に起きる不思議。

自分のルーツを探す旅路は先祖供養という新たな視点でもあったようですし、

時空を超えた自分の俯瞰、

それは自分という実在への深い感謝と喜びにつながったようです。

師匠の言葉「最高の先祖供養は,子孫が幸福であるということです」

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*30、40代くらいの方ならば5代ほど前までは役所の謄本で比較的簡単にたどり着けます。

曽祖父さん、曾祖母さんのお名前は知っていますか。





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プロフィール

ロックエヴァ

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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