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よく質問を受けます。

Q.「今」とは何でしょうか? 分かったような、でもわかりません。
時間は過去から現在そして未来に向かって流れて行きます・・・。
だから、たった今その流れを切り取った瞬間の断面が「今」ではないのでしょうか・・・。

A.如何にも、あなたらしいですね。
違います。
思考実験とはいえ、切り取るという所作に経過時間が存在します、
瞬間と言っても、瞬とはまたたくという意味で眼を閉じてまた開くまでの時間です。
断面など、ありません。
大脳の思考では時間流れるもの、だが「いま」は存在しないのです。
ですから、「今」は時間を記述する用語ではありません。

*脳の中に空間認識を司る部位があることは分かっていましたが、
最近、時間認識が可能と思われるパートがあるようだ、ということが言われています。
脳も時間空間にのみ存在するモノですからね、難しいのです。
最近はふつうに、時間空間は幻想である、といわれていますね。
脳に備わった、現象世界を理解するための装置~仕組み、としての枠組みです。

「今」は時間空間の制限のない次元(5次元以上)を体験した人にしかわからない「心的な状態」なのです。
私たちは「いま、ここ」と言いますが、
神道系では「中今(なかいま)」
禅の道元さまは「而今(にこん)」などと呼ばれています。

普通、人は時間空間(4次元)の住人ですが、実は同時に5次元にも住んでいるのです。
ですから、時空間の制限のない次元が分かるのです。

「今」とは時空間が無い次元にある意識の状態です。
厳密には、時間はあるのですが、その流れを越えており制限が無いということです。
空間的にも自他の区別が消えて自分と他が一体化したような境界がおぼろな感覚です。
体験しかありません。

もちろん完全に意識が5次元にはいれば身体感覚は無くなります。
ふつう我々は、2つの次元に同時に存在しているような、交じり合った不思議な経験をします。
「今」ここにいる、という実感が生まれるのです。
不完全ではあるのですが体験を言語化できるのもこの二股に軸があるからですね。

時間は流れるという制限が存在しない(消失する)ので、過去を悔やむこともなく、未来への不安や怖れはありません。
時間を意識したとたん、明日への不安が湧き上がり、過去への後悔がうまれます。

4次元ではわずかの時間でも、5次元では至福感に満たされるのです。
ただ生きているだけで嬉しい、すべてに感謝、・・・・
自分の中に純粋無垢な魂があった、という方もいます。意識の変容が起きるのです。
時空間の制限こそが自我(エゴ)の源泉ともいえますね。


コリン・ウイルソンというイギリスの作家が「至高体験」というテーマで詳しく述べています。
ずいぶん昔に読みましたが、倉庫のどこかに探せばあるかな・・・。

意識を大脳から遠ざければいいのです。
私たちはまず「ゆるむ」練習をします。
脳が活動すれば筋肉は緊張します、ゆるめれば脳は沈静化します。
その先に、「ある」のです。













名言

宇宙兄弟 南波六太

「俺の敵は・・・・・・、・・・・・だいたい俺です」

「意識」と「自我」の違いが分かった者にのみ、うなずける言葉です。

新年

明けましておめでとうございます。

新しい年が始まりました。

人類にとって思いもかけないような厳しい試練が続いています。

しかし、我々は何度も叡智をもって乗り越えてきました。

平穏な日々が一刻も早く戻ることを願いつつ、

新年のご挨拶と、お見舞いを申し上げます。

叡智とは、意識(意識する…、という使い方ではなく魂に近いものです)を大切にすることです。

自我(エゴ)と対比される我々の高次元にある本質です。

知識とは脳の論理過程に載りやすい,因果則を好みます。

時間空間の枠内でしか存在できない限定された思考の形態です。

ですから知識を積み重ねても叡智にはなりません。

むしろ知識を捨てて捨てきったときに叡智は訪れます。

因果則外ですから、直観となります。






ふっと、そっと

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初冬の風物詩、ツワブキの花。

2週間ほど前に咲き始め、少し盛りを過ぎましたが未だ芳香を放っています。

接近して鼻を向ければ、かなり濃厚で、悪臭と感じる人も多いと思います。

それでも10mほど離れて、やわらかい風でもあれば、かすかな香りが届きます。

懐かしい郷愁の匂い、遠い記憶を探りたくなるような微かな衝動が湧くでしょう。

小春日和の公園の小径を母とのんびりと歩いた思い出だったり

不思議なことに、小学校の隣の席の女の子の匂いがよみがえりました。

匂いの刺激は脳の臭覚中枢に直接届くので、大脳皮質を経由しない分

気づいたとき「なぜ、どうして」などの思考が抜けていて、純です。

しかも微かで、気がつかないほどだから、エゴのそばをすり抜けてしまうのです。

自我(エゴ)という厄介な怪物が動きません。

懐かしい思いは、来年の今日の日のために丁寧にとっておきましょう。

お話はもう少し続きます。

強いほどいい、大きいほどいい、たくさんあるのがいい、・・・・・

というような価値観は計算をソロバンに置いたエゴなのです。

計量的な思考はエゴの生起のジャンルの一つです。

「少ない」は、エゴからすればよいことではないのです。

自我が動くと高い意識の次元からは遠くなるのです。

ですからね、ツワブキのかぐわしい香りに喜びを見つけたいならば

微かなほどがいいのです。

画像燃やしの量も少しでよいのです。(もちろん閾値はありますよ)

保健水の水もがぶがぶ飲んではコスト高以上に思考を矯めることはできません。

自我に気づかれないように、自我を起こさないように、

「ふっと、そっと」なのです。











観る

「大隠は市井に遁る。(たいいんはしせいにのがる。)

小隠は山中に遁る。(しょういんはさんちゅうにのがる。)」

中国の古いことわざです。

ずいぶん昔、私の尊敬するジャーナリストKさんが、

折に触れ何度も繰り返し話してくれたものです。

「大いなる悟りを開いた方は市井の中にあり、

悟りをこころざすも未熟な人は山中にこもろうとする。」

人は人間関係の中でしか自分を観ることはできません。

人は己の鏡です、人の中に自分を観るのです。

自分の中にあるモノしか外には観えません。

人と交じり合うことが大切なのです。

山中にこもっても鏡が無ければ自分は観えないのです。

己を整えれば違う自分を発見できますよ。

整えるとは、闇の向こうに微かでもいい、灯火を見つけることから始まるのです。

市井が闇ということではなく、あなたの暗い影の部分を直視することです。

観るだけですよ。人は闇(自我)を必要とするのです。

この現象世界を理解するために・・・。
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プロフィール

ロックエヴァ

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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