器量

地方紙の柳壇より、お題は「ハプニング」

その中から、二首。

*その人の器量が見えるハプニング

*ハプニング男の肝が試される

普段では見えない人物の大きさは、突然の出来事に対処するときに

如実に現れる。

普段から心がけていざというときに備えられるのか。

つまり器量を大きくする練習が出来るのか?。

まず、アタマでの努力では無理だ。

こうあるべきだ、という目標を設定して鋭意邁進する努力は決して実らない。

その人の持って生まれた特質だから、後に身につけられるようなものではない。

それ以前に、器量の大きい小さいは比較であって、

3次元の狭量な見解に過ぎない事を知っておくべきであろう。

危機に際し、見事な振る舞いもあれば、

言葉とは裏腹に見苦しい、惨めな姿をさらすこともあろう。

赤恥を人前でかくこともあろう。

どちらでもかまわないのである。

カッコよくても良いし、悪くてもいい。

なすべきは、思い込み刷り込みを見切って、

日に晒し、色あせさせることに尽きる。

その下にはあるがままの己がある。

その生のままで生きられればよい。

偏りのない自分に立ち戻ることからはじまるのだ。

つまり、良い部分と最悪な部分が同時にあることを理解する。

すべては二重構造である事に気づく。

それは同時に、高次元を知ることと同意義となるだろう。

器量の大きさは、実は思考という道からどれほど逸脱したか

ということの指標だと思う。




一部屋で

先日、BSのTVをぼんやりと見ていたら、面白い紀行番組をやっていた。

中世のルーマニアには、結婚刑務所というものがあったそうだ。

要塞のような教会に、離婚したがっている夫婦を2週間と閉じ込めて

一つの部屋、一つのベッド、一つのテーブルなどで生活をさせる。

結果は2000組につき離婚に至ったのは1組だけだったという。

というようなお話だった。

ヒトは鏡を意識せずとも避けようとする傾向がある。

自分自身を真正面から見るのに耐えられないからだ。

しかし、鏡を通してしか己は見えない。

相手に自分自身を見ることに気がつくことは、

愛の始まりなのだろう。

中世にはこの知恵があったのだろうね。






Tさんが歌い終わったときに、少し間が空いたそうだ。

母が言うには長く感じたけれど1,2秒だったような・・・。

その後、ワレにかえった仲間達からの割れんばかりの拍手と

賞賛の嵐がしばらく続いたという。

地区老人会の温泉旅行、カラオケ大会の出来事だった。

湯に入り、食事も終わり、酒宴も終わりに近づいたときに、

メンバーでもある司会者が会場を眺めて、

『おや、このヒトはまだ歌ってないぞ、

せめて1度くらいは当てておかなきゃ・・・』と配慮した人なのだった。

歌は淡谷のり子の「別れのブルース」だったそうだ。

皆が言うには、

(淡谷)本人よりも上手、歌唱力のすごかこと、今まで聞いたことのなか、・・・

田舎の小さな村の老人会の中に「伝説」が生まれた瞬間だった。

Tさんがこれほどまでに歌がうまいということを誰も知らなかったらしい。

Tさんは、何十年も昔、遠くの村から17歳で嫁いできた人だった。

朝から夜まで夫に従って農業にいそしみ、6人の子供をもうけ育て上げた。

母の話では、無口で、小柄な日焼けした土の塊のような農婦にしか見えなかった。

だが、受け継いできたDNAは、どうやら絶対音感にすぐれ、

歌なら1度聴いただけで憶えるといった人だったらしい。

娘さんの一人はとても歌がうまく、

ピアノも数度聞いただけの曲を弾けたらしい。 

だが、Tさんはおそらく音楽の道に進みたい、とは

一度も思わなかったのではないだろうか。

職業や環境は自ら求め勝ち取ってゆくという感覚は端からなかったようだ。

TVやラジオからの音はもちろんだが、鍬を振り土を打つリズム、

竹林を渡る風のゆらぎ、小川のせせらぎ、子供たちの歌う歌、・・・・・・

豊穣な交響楽の流れの中に自らがいることを淡々と受け入れていたからだ。

それ以前に自分に、才能や素質があるということさえ気がついていたかどうか。

人はそれぞれ自分のプログラムを歩む。

ゆったりでもよいし、激しくでもいい。

びくびくしながらでもいいし、小賢しくてもいいだろう。

Tさんは大河の流れにゆったりと乗った。

追うようにTさんの伝説も河のかなたに流れ去ろうとしている。




船を建てる

s-船を建てる


先日は『舟を編む』だった。

今日は『船を建てる』(コミック、鈴木志保著、秋田書店)

船(舟)の後に「編む」、「建てる」、など

用法的には先ずありえないところが面白く、気がかりになる。

『船を建てる』は師匠から薦められて読み始めて、

早4年が経ってしまった。

上下2巻、あわせて約800ページ、読みきったのは132ページまで。

未だに先へ進めない。

理解しようとするから先に進めないのである。

思考を否定する拒絶する仕掛けがあるようにさえ思えてくる。

コミックではあるけれど、

例えば「ゴルゴ13」とか「バガボンド」など

とはまったく異質のものだ。

ストーリーがよく分からない。作者のメッセージが私には見えないのだ。

おそらく、そのような意図は初めからないのかもしれない。

もどかしいのは時の流れがつかめないこと。

さらに絵に奥行きが感じられない。

言い換えれば時間空間の存在が希薄で異次元に漂っているかのような

覚束なさなのである。

一瞬、そこに快さが湧くこともある・・・・・・、(これはすごいぞ)。

だが私の脳は確かに絵を認識はするが、いまだに、ほとんどを心理的に生理的に受け付けきれない。

ストーリーとは文章や絵を鏡として観る、そのソースは自分の中にある。

自分の中にあるものを、外に出して自分が観る、それがストーリーとすれば

中に何もなければ見えないもんね、ということになる。

私の中に、私にとって異質な存在をまだ許さない部分がある。(当たり前か)

これは新鮮な驚きではある。

『船を建てる』には根強いファンが多いそうだから、

きっと新世代のヒトが育っているのかもしれない。

s-船を建てるのなか






舟を編む

-舟を編む


『舟を編む』(三浦しをん著)は書店の目立つところに平積みされていた。

「2012年本屋大賞 第一位」受賞の帯が晴れがましい。

全国の書店の店員さんが薦める本だから、面白くないはずがない。 

出版社の辞書部門に勤める無器用な青年が、一途に、ひたむきに、

時には鬼気迫る如くに辞書つくりに携わりながら大きく成長してゆく物語だ。

くすっと笑い、感動し、辞書つくりの裏面をのぞき、また感動し

時に目がウルウルとなって、深夜に読了した。

書棚にある久しく手にしたことのない「広辞苑」を開き、

一生読むことはないはずの自序,後記などを読んでもみた。

3次元の視野がすこし広がった。

この世はやはり面白い。楽しめる。

さて、「感動するとは」どういうことか。

われわれ流に言えば、

目の前に展開する事象はもともと自分の中にあるものだから、

わが鏡に映るものを本の中に観た、と言うことだ。

遺伝子の記憶がよみがえり(?)、刷り込みが共感を呼び、思い込みが疼く。

「感動」は、感動するべきフレーズに反射が起きたときに胸にぐっと来るのだ。

自分の中の『良き部分』が何回も共鳴し感応したのだから快いはずだ。

要するに『私にとっては「この本」はとても分かりやすかった、よい本』ということになる。

自分の中をのぞいたのだから当然なのだ。

優れた作家は、多くの共感のチャンネルを自らの中にもっている人なのだろう。



今日5日は立夏だ。

今年も冬が過ぎ、春が過ぎ、もう夏が来た。

おう、耳を澄ませば雲雀が啼いている。


*この本には実際の舟は出てきません。次のような件があります。

「ひとは辞書という舟に乗り、暗い海面に浮かび上がる小さな光を集める。・・・(中略)
・・・もし、辞書がなかったら茫漠とした大海原を前にたたずむほかはないだろう」
「海を渡るにふさわしい舟を編む」




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プロフィール

Author:ロックエヴァ
療術家  

大黒屋誠二郎師を師匠として、伝授された画像や技法などを使って日々、療法に取り組んでいる。
画像、シール,保健水などの活用を中心に、心、意識、身体などについて研究を深めていく事を目的とした「まいど会」の会員。

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